これは2015年11月6日に、熊本学園大学の遠藤隆久先生の「法学入門」の講義にて、ゲストスピーカーとして話したことのほんの一部です。
生きてゆくための言葉を手放さないために。
二〇一〇年三月、済州島を初めて旅したとき、じゃりじゃりじゃり、私はずっと私の靴が踏みつける白骨の音を聴いていました。済州国際空港に飛行機が着陸したその時から、飛行機の車輪に踏みしだかれる白骨の音を聴いていました。済州島へと旅立つ前に、済州島に故郷を持つ私のおじが、絶対に飛行機では済州島には行きたくない、なぜならば、滑走路にたくさんの白骨が埋まっているから、と言ったのでした。4・3事件という、朝鮮半島の南北分断に深く関わる、韓国ではずっと封印されてきた、国家によるアカ狩りを口実とした島民虐殺のその記憶は、言葉にはならぬ、ただ、足下の大地で、しゃりしゃりと、じゃりじゃりと、親兄弟にも知られずに無造作に殺されて埋め捨てられた犠牲者たちの骨が、踏まれるたびに乾いた音をあげる、その骨の声が済州島にはひそやかに鳴り響いているのだと、たった十五歳で全身の骨が砕け散るほどの拷問を受けて、山野にころがる死体を踏み越えて、玄界灘へと漂いだして、日本へと密航してきたというおじが、ひそかな声でそう言うのでした。人間の骨のうちで、土中に埋めて、一番最後まできれいに残っているのは歯だと言いますね、身は朽ちても、骨は溶けても、カチカチカチと小刻みに震えるあの音だけは千年、万年、未来永劫、聴こえつづけるのかもしれませんね、私たちにそれを聴く耳があるのならば。おじは拷問で片耳の聴力を失ったのだそうです。おかげで、ずっと、この世ならぬ声が聞こえるのだそうです。
白骨の音といえば、ハンセン病療養所。ここも日本の中の見えない島、見えない町です。一度この島に流れ着いたなら、かつては死んでも出ることはできなかったから、実のところは今でもそう変わりはないのだけれども、それでもかつては納骨堂だけではなく、火葬場までもこの見えない町にはありました、(そういえば、大阪の見えない町猪飼野も、大阪の目に見える町々のはずれの火葬場のあたりの湿地に生まれた町だった)、火葬場は地獄谷と呼ばれる見えない町のはずれの谷のすぐ上の野っ原にあって、見えない町の住人たちが薪を積んで、死んでも死にきれないと言いつづけている遺体を焼いて、焼ききれない骨のかけらは野っ原にまいて、野っ原には白い砂利のように骨片がじゃりじゃりとね、じゃりじゃりと骨片がね、踏めば声をあげる、この声が聴こえるか、おまえはこの声を語る言葉を持っているのかと、それは骨が歯ぎしりする音のようでもある、じゃりじゃりと突きつけられるようでもある、おまえが歌うように語りたい書きたいというその文字は白い骨の文字なのか、見えない世界、聴こえない声を、見えるもの聞こえるものにきつく縛り上げられている者たちに送り届ける文字なのか、死ぬに死ねず、生きるに生きられない者たちに、ほんとうの命のはじまりを、もたらす文字なのか。