閉じても閉じても本の中。

さてさて、私はてっきり独り暮らしだと思っていたのですが、見えないものが見えるさるお方に観ていただいたら、我が家には男性ひとり(半透明で邪気のない方だそうです)と5人の小さな精霊(お掃除好き)がひそやかに暮らしていて、私との同居を楽しんでくれているんだそう。うん、それはよかった(と言ってもいいのかな…)。

21日、新潟にて、浪曲玉川奈々福)と語り(姜信子)と朗読(文:姜 朗読:玉川奈々福)の会を持った。新潟大学の藤石貴代さんの尽力で実現した、書き手・読み手・語り手・聞き手が声・息遣いを通い合わせ盗みあって形作る表現の場。その空間で3・11以降の語り、表現をめぐって声を行きかわせた。無数の死を内に抱え込んだ生を語る言葉、死を生き、生を生きる言葉を、言葉を超える言葉を探った。浪曲玉川奈々福による朗読という初の試み。自分が書いた文章なのに、奈々福の声に息を吹き込まれ、血が通い始めて、息づきだして、声の力に思わず息をのんだ。この試み、これからも続けてみようと思う。朗読しようとを提案してくれた玉川奈々福に心から感謝。

22日、新潟・柏崎の<共に育ち合い(愛)サロンむげん>にて、福島の大熊町から避難してきている被災者の方々を聞き手に、お楽しみ浪曲会。(私は奈々福の悪徳マネージャーとして同行)。演目は『仙台の鬼夫婦』と『陸奥間違い』。実に息の合った語り手と聞き手たち。みなよく笑って、実に楽しそうに聞いてくれた。浪曲の声の力は、生きる力。きちんとそれが届いているのがわかって、悪徳マネージャーとしても大いに嬉しかった。

『生首』(辺見庸 毎日新聞社)、『愛する者たちへ、別れのとき』(エドウィージ・ダンティカ 作品社)、『方丈記私記』(堀田善衛 ちくま文庫)、『不愉快な本の続編』(絲山秋子 新潮社)等々をぱらぱらと。

「世の中で一番強いのはいくじなしだ。過激でいるほど弱いことはない」「体だけは自由にしていたいと思った。魂なんて置いてきてしまえばいい」。絲山秋子は好き。言葉遣い、というよりその息遣いが好き。秘密をじんわり漏らす絲山秋子の囁きが好き。そうか、私もまた不愉快な本のなかの住人かと思いつつ、本を閉じる。閉じても、閉じても、本の中の人生。

しかし、あらためて読んでみれば、方丈記っていうのは、すさまじい。