谷川健一最後の著作

この夏に亡くなられた谷川健一さんの最後の著作『露草の青 歌の小径』を読んでいる。
何度かお目にかかったことがある。激しい情念を内に秘めた方と感じていた。
その方の晩年のこんな一文。

「私が今、此の世でもっとも親近感を抱いているのは、人間ではない。
 わが家の近くの石垣のごく狭い隙間から茎や葉を出しているかぼそい野草である。
        <中略>
 この草の名は何というのか判らない。取るに足りない雑草中の雑草として、片付けられる代物でしかない。それなのに茎を指でつまむことさえ憚られるこの細い草花のまえに私は立ち尽す。一ミリメートルほどの極小の花が、宇宙の中に、しっかり生きている。私は思わず、この野の花にむかって「どうか私を護ってほしい」と頼む。
 私にはこの「最小さき」野の花が、亭々たる大樹のように思われるのだ。折から花が風にかすかに揺れたりすると、私は願いが聞き届けられたように、満足してそこを立ち去る。
 それは人間世界に以前ほど興味のなくなった私が、天地の中に生きていることの証しである」


谷川先生のご冥福を心よりお祈り申しあげます。