『地図のない道』

メモ。 ユダヤ人・ゲットーをめぐりあるく思索。

須賀敦子『地図のない道』より。

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「地図のない道」 その一 ゲットの広場

『一九四三年、十月十六日』(ローマのゲットからユダヤ人が連行された日)。

私がゲットに惹かれるようになったのには他にも理由があった。その年、ローマで暮らしてみて、むかし学生時代には考えもおよばなかったこの年の別の顔が私を深く惹きつけるようになっていたのだ。若かった私をあんなに魅惑した、そして、ローマをかがやかしい永遠の都と呼ばせることに成功した、いわば勝ち組の皇帝や教皇たちの歴史よりは、この街を影の部分で支えてきた、ローマの庶民といわれる負け組の人たち、とくに、いわれのない迫害をじっと耐えながら暗いゲットに生きてきたユダヤ人の歴史が、ひっそりと私に呼びかけているのに気づいたからかもしれない。


そう考えると、いくつかのせまい部屋にわかれたレストランの白い壁を爪で掘ってでも、あの日、ここで起ったことどもを、尋ねたかった。人間の歴史が生んだ、無数の《パオロ四世》や《ヒットラー》たちのことを、ゲットの白い壁はだれよりもよく知っているはずだった。

ユダヤ人。マラーノ(=かくれユダヤ人)。コルシア書店のマッテオ・レーヴィ。その妻ルッチラ)
マッテオとルッチラのどちらもが、血統のうえではユダヤ人だったが、宗教ではキリスト教だった。

マッテオとルッチラのキリスト教には、知性に根ざした深さと悲しみのようなものが底に澱んでいて、その分だけ、彼らの中のユダヤ性が屈折していた。
(二人の次男ジョヴァンニ。洗礼式で名付け親須賀敦子に抱かれている典型的なユダヤ顔の赤ん坊。)
同じ血のこんな顔をした子供たちが、なにもいえないまま殺されていった歴史の重みが、私の腕の中で泣いているような気がした。

 (ヴェネツィアにて)。
 とうとう参加が叶った《ゲットのツアー》というのは、四、五人のグループが、ボランティアの女子学生に引率されて、彼女の説明を聞きながらゲットの中にあるシナゴーグと呼ばれる五つの会堂のうち、三つを見学する、それだけのことだった。

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その二 橋

ルチアの記憶。

上がっては、下りて。そしてまた、上がっては、下りる。ルチアの足がわるいこともたしかにあったのだろうけど、あれはなによりもヴェネツィアの橋のせいだったのだと、三十年近く経ったいま、考えている。

上がったり、下りたり。ヴェネツィアの道のリズムが私を遠い大阪に連れて行く。『心中天の網島』。
古いヴェネツィアの愛人たちもまた、胸をつまらせて、橋から橋へ渡ることがあったのだろうか。
(リズムがヴェネツィアと大阪をつなぎ、祖母の記憶を呼び戻す)


祖母の大阪を巡り歩く足は、祖母をなかだちに死に向かって走る女の道になり、やがてその道は四天王寺へ、そして坂の上の一心寺。
一心寺は骨で作った仏像のある寺。女の髪で編んだ長い重い綱で鐘を鳴らす寺。



坂のはるか下のほうには、西方浄土とは似ても似つかない「新世界」の通天閣が、小さな棘のように見えた。

下界、ということばをひさしぶりにかみしめる思いで、私は立ちつくした。

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その三 島

六七年の六月に夫が死んで、八月には母が危篤の電報で日本に帰った。母はもちなおしたが、祖母が死に、一年まえに手術した癌がいつ再発するかわからない父をひとり残して、私は、翌年の五月、がらんとしたミラノの家に戻った。

ただ、うろうろしていたようにも思う。道を歩いていても景色が目に入らず、意志だけに支えられて、からだを固くして日々を送っていた。

島。トルチェッロ。聖堂の聖母。

子供のとき、神社でもらった護符を開けると、目がつぶれると祖母にいわれた、その目がつぶれるということばが遠い時間から戻ってきた。私は聖母を囲んでいる金色の燦めきをあたまに納めると、外に出て夏を探し、夏が大きな安全ピンのように魂をからだに留めてくれると、また中に戻った。

満たされる、ということばにつづいて、もうひとつの聖堂が記憶の底で点滅した。

不本意な新婚旅行で訪ねたアクレイアの聖堂)。
聖堂の床ぜんたいが海に見立てられ、数えきれない種類のサカナが、色がまだらな大理石の小片の波間を泳いでいた。

きみのふくれっつら。ずっとあとまで、夫はあの奇妙な新婚旅行を思い出して、私をからかった。そのたびに、アクレイアの聖堂の床の、波をくぐって泳いでいたサカナの大群が、記憶のなかできらきらと光った。

なんだ、そんなこと。もうひとりの自分が、低い、うなるような声でいった。ここに、じっとしていれば、じっと待っていれば、いいんだ。

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「ザッテレの河岸で」。