ある家族の会話

ナタリア・ギンズブルグ『ある家族の会話』 まえがきからの抜粋。

この本に出てくる場所、出来事、人物はすべて現実に存在したものである。架空のものはまったくない。
人名もそのまま用いた。この本を書くにあたり、私は空想の介入をまったく許容できなかった。
また私は自分が憶えていたことだけしか書かなかった。
それから、自分で憶えてはいてもわざと書かなかったこともたくさんある。とくに私自身にかかわることについては、省略した。
いろいろな欠落、省略はあっても、この本は私についてのものがたりではなく、私の家族の歴史として書かれたものだからだ。

記憶は時の経過にあらがい得ず、しかも現実を土台とした本は、しばしば作者が見聞きしたすべてのことの、ほのかな光、小さな破片でしかない。


『ある家族の会話』本文 冒頭。

「子供のころ、わが家で私とか兄弟のだれかが、食卓でコップをひっくり返したり、ナイフを床に落としたりすることがあると、たちまち父のかみなりが落ちた。「ぶざまなことをするなっ!」

これは須賀敦子による翻訳なのだが、まるで須賀敦子自身が語っているかのような錯覚を呼ぶ文章でもある。
原作者であるナタリア・ギンズブルグが、まるでイタコのように、須賀敦子の心中の言葉を書き記したかのような。

「私のなかのナタリア・ギンズブルグ」で『ある家族の会話』について須賀敦子はこう語る。

文体でないような文体。小説じみた小説を書こうと長年の苦闘をかさねたあげく、じぶんの家族について語ろうとして、おもわず肩の力をぬいたときに、不意に成熟のときを迎えたかのような、一見自然体とみえる文体。

そのナタリア・ギンズブルグによる、いまだ生々しい社会的事件を題材に書かれた文章について、須賀敦子はこうも言う。

どうして、それを文学の中で捉えてくれなかったのか。それとも、時間はそれほど逼迫しているのだろうか。

ずっと以前、友人の修道士が、宗教家にとってこわい誘惑のひとつは、社会にとってすぐに有益な人間になりたいとする欲望だと言っていたのを、私は思い出した。文学にとっても似たことが言えるのではないか。

須賀敦子にとっての文学、「物語る」ということについて、思いをめぐらす。

たとえば、須賀敦子が語る、人生を知るに至る「40年」という時間のこと。

性急に生きて収容所で命を終えたジャックは、ひとつの思想でしかない。ほんとうに人生に参加したのは、クレールを守りたいと思って彼女と結婚し、妻から手紙をもらいつづけるジャックに嫉妬し、彼が死んだあと、わけのわからない力に押されるようにして、抵抗運動にとびこんでいったジャンだ。彼こそ、より人間らしいやり方でクレールを愛したのではなかったか。あれから四十年、『人間のしるし』への、それが私の答えだった。
「ジャックと私は、夜おそくまでサティの音楽について語り合った」
 坂を降りながら、ジャンが盗み読みしたクレールの手帳の一節を、私は自分のなかで繰り返していた。
あの本を友人たちと読んだころ、サティという音楽家がいたことも、もちろん、彼の作品についても、そしてなによりも、人生がこれほどの翳りと、そして、それとおなじくらいゆたかな光に満ちていることも、私たちは想像もしていなかった。 (「クレールという女」より)


泣いたり笑ったり、歩いたり、船に乗ったり、昼寝をしたりした四十年という時間は、それなりに満ち足りたものだった。そのとき、髪をみじかく切った少女が、こわばった表情で坂道をこちらに向いて歩いてきた。
 その子の固い表情を見ていて、ふと、私は大学生でカテリーナの伝記を読んでいたころの、「そのために自分が生まれてきたと思える生き方を、他をかえりみないで、徹底的に探求する」のに、へとへとになっていた自分を思い出した。(「シエナの坂道」より)

この「四十年」をめぐっては、須賀敦子によるウンベルト・サバの詩の翻訳、あるいは、その詩への愛着(=執着)にもさまざまな声が潜んでいるのだろう。

あるいは、宗教と文学について。

宗教にくらべて、文学のほうは、ひっそりしている。文学は、ひとり、だからだろう。

 祈りには、共同体の祈りと、個人がひそやかに神と対話する祈りとがある。
 共同体の祈りが文学と分かち合ったのは、どちらもが、言葉による表現であるという点だ。だが、共同体にとどまるかぎり、祈りは、魂を暗闇にとじこめようとはしない。
 個人の祈りは、神秘体験に至ろうとして恍惚の文法を探り、その点では詩に似ているが、究極には光があることを信じている。共同体の祈りも散文も、飛翔したい気持を抑えて、人間といっしょに地上にとどまろうとする。個の祈りの闇の深淵を、たぶん、古代人は知っていたのだろう。

 共同体によって唱和されることがなくなったとき、祈りは、特定のリズムも韻も、その他の形式も必要としなくなるから、韻文を捨て、散文が主流を占めるようになる。散文は論理を離れるわけにはいかないから、人々はそのことに疲れはて、祈りの代用品として呪文を捜すことがあるかもしれない。 

 信仰が個人的であり、宗教は共同体的であるといいきって、私たちはほんとうになにも失わないのか。

 現在の私たちが詩と呼び、宗教と呼ぶものが、ダンテの時代とは比べられぬほど、部分的で断片的であることに、私たちは気づく。

 文学と宗教は、ふたつの離れた世界だ、と私は小声でいってみる。でも、もしかしたら私という泥のなかには、信仰が、古いハスのタネのようにひそんでいるかもしれない。
(「古いハスのタネ」より)

以上、メモ。考えるべきことは多い。