詩人谺雄二との約束

6月21日 東京で催された 全国ハンセン病療養所入所者協議会会長の神美知宏(こう・みちひろ)さんと、詩人谺雄二を偲ぶ会にて、谺さんの思い出を語りました。
以下、その草稿です。

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谺雄二さんとの約束。

私が谺さんと初めて出会ったのは、2008年3月3日のことでした。私はその頃、国賠訴訟の闘士谺雄二のことはよく知らず、ただただ谺さんの詩集をとおして、詩を書く一匹の鬼、谺雄二の声に呼ばれて、草津へと谺さんを訪ねていったのでした。

それから6年、私と谺さんは詩を語り合い、文学を語り合い、思想を語り合ってきました。とはいえ、この6年間、谺さんはほとんど詩を書くことがなくなっていました。国賠訴訟以来、目の前に差し迫ってくる深刻で具体的な問題と格闘することに時間も体も心も声も言葉も奪われて、詩が書けなくなった、そう谺さんは言ったのでした。

その谺さんに、私は、それでも詩を書け、書いてほしいと、逢うたびに囁きつづけてきました。最後の一年は、千年先まで鳴りひびく声を放てと、谺さんに言いつづけていました。こいつ、とんでもねえ女だ、と言われながら、とんでもない注文を出しつづけていたのです。

私たちには、暗黙の了解がありました。

古来より、千年の命を生きつづける詩があり、文学があります。最近はやりの使い捨ての詩や文学とは別次元の詩や文学がこの世界には確かにあります。
そのような詩、あるいは文学とは、命の思想をその魂としているもの、そして、この世の中の仕組みと論理の中に押し込められて、ちぢこまっている命をふたたび大きく開いて、新しい世界へとつないでいくもの、詩とはこの世界を書き換えてゆくみずみずしい命の声であり、言葉なのだという思いを、谺さんと私は共有していました。

いずれ、近い将来、人権運動の当事者の生身の肉体が消えるときがやってくる。おそらく、そのときには、差し迫った具体的な問題に焦点を当てて組み立てられた目下の闘いのための論理の言葉もまた、当事者とともに消えていくことだろう。追い求めてきた「いのちの証」も、ついに見極められることなく消されていくことだろう。だから、たとえ生身の肉体が消えても、生きつづけてこの世を揺るがす声を! いのちからいのちへと結ばれて、つながってゆく言葉を! そんな祈りにも似た思いも、谺さんと私は共有していました。

谺さんは、国賠訴訟で国に勝って、鬼から人間に戻ったはずなのに、現実はどうも違うようだ、国は何も変わっていない、国家とはいったい何なのか、人間が形作っている国家というものを根源的なところで問わねばならないと、語っていました。その問いの拠って立つところは、やはり、「いのち」。「いのち」をつないでゆく言葉を私たちは探していました。

谺さんが旅立つちょうど一年前、昨年の5月11日に、熊本の市民学会の場で、谺さんが、「ふたたび鬼となって詩を書く」と、遂に多くの人々の前で約束したのも、つまりはそのような背景があってのことだったのです。

私もまた、谺さんに約束しました。谺さんひとりにその重荷を背負わせない。私もまた谺さんの声を千年先まで響きわたらせるための声を放つと。 

谺さんの詩文集『死ぬふりだけでやめとけや』は、その約束の最初の小さな一歩でした。そして、谺さんは、いのちといのちをつないで、千年先へと声を放つ、そのはじまりの場が、一冊の本という形で開かれたことをしかと見届けて旅立たれました。

では、その開かれた場で、谺さんの声を受け取った私たちは、きのうから今日へ、今日から明日へ、私からあなたへ、いのちといのちを脈々とつないで結んでゆくために、今度はどんな声を放っていくのか、どんな言葉を紡いでいくのか。

約束は命がけ。私たちの声、私たちの言葉で果たされなければなりません。

約束を果たすために、もうひとつ、まっすぐにとことん向き合わねばならぬ問いがあります。いのちといのちを脈々とつなぐために、谺さんが最後に投げかけていった大きな問いがあるのです。

ひとつひとつの命が必ず持っている、その命のためだけのかけがえのない言葉がある。
名前です。
思うに、その言葉すら、私たちはいまだ押し殺しているのではないか?

人と人、人と社会のつながりを断つ病としての「ハンセン病」を見つめつづけた谺さんの目には、個々のいのちのつながりを断つことで互いに互いを縛り合うのっぺりとした集団をつくりだす仕組みとしての国家とその論理もはっきりと見えていました。

その論理にのまれて、死してなお名前を失いつづけたままでいいのか?
本当の名前を明かせば、迷惑のかかる人々がいる、現状ではまだ無理なのだというその論理は、いったい誰のための、何のための論理なのか?
その論理に封じ込められたままのいのちの声がなぜ聞こえない? 
いのちの声でその論理を越えてゆくほかないではないか! 
それこそが「いのちの証」を見極めることなのではないか?
そう谺さんは問いかけていたのです。

二週間前、私は、プラハユダヤ人街にいました。ナチスによって連れ去られ、消されたプラハユダヤ人のすべての名まえが壁一面にぐるりと隙間なく記されているユダヤの聖堂で、谺さんの投げかけた問いをぎりぎりと考えていました。
死者たちの名前に包み込まれたユダヤの聖堂は、永遠のいのちの記憶に捧げられる深い祈りの空間でした。無数の死者たちの名前それ自体が、明日の世界への祈りの言葉となり、私と世界をいまいちど結び直すようでした。

名前。ひとりひとりのいのちの名前。いのちの言葉。ここから始まるのだ、ここからつながってゆくのだ、という谺さんの遺志を私はいまいちど噛みしめたいと思います。

いのちを押さえ込む揺るぎない論理を前にして、たとえ今すぐにそれを乗り越えることができなくとも、乗り越えられないみずからを恥じる心を胸に、乗り越えるための声を絞りだし、言葉を紡ぎだしていこうと思います。
じたばたと身悶えながらも、いのちの声にじっと耳を澄まして、みずからの命をかけて。
それこそが、私と谺さんが分かち合った詩の精神であり、文学の精神なのですから。


2014年6月21日  姜信子