『古風土記』の巨人

「巨人が国を開いたという説話は、本来この民族共有の財産であって、神を恭敬する最初の動機、神威神力の承認もこれから出ていた。それが東方に移住して童幼の語と化し去る以前、久しく大多良の名は仰ぎ尊まれていたので、その証拠は足跡よりもなお鮮明である」


「我々の巨人説話は、二つの道をあるいて進んできたらしい跡がある。その一方は夙に当初の信仰と手を分ち、単なる古英雄説話の形をもって、諸国の移住地に農民の伴侶として入り来たり、彼等が榾火の側において、児女とともに成長した」


もう一つは、いわば、神話の上書き、神の上書き。
「信仰が世とともに進化して、神話ばかりが旧い型を固守しているということは難かった。すなわち神主等は高祖以来の伝承を無視する代りに、それを第二位第三位の小神に付与しておいて、さらに優越した統御者を、その上に想像し始めたのである」


「村に淋しく冬の夜を語る人々に至っては、その点においてやや自由であった。彼等はたくさんな自分の歴史を持たぬ。そうして昨日の向う岸を、茫洋たる昔々の世界に繋ぎ、必ずしも分類せられざるいろいろの不思議を、その中に放して眺めた」


「伝説は昔話を信じたいと思う人々の、特殊なる注意の産物であった。すなわち岩や草原に残る足形のごときものを根拠としなければ、これをわが村ばかりの歴史のために、保留することができなかったゆえに、ことにそういう現象を大事にしたのである」


(たとえば奇瑞が起こるとダイダラ坊様の所業であると解するように)
「説話はすなわちこれに基づいて復活し、またしばしばその伝説化を繰り返したものであろうと思う」



★説話という記憶の器の使いまわし、上書き、伝説化(ひいては歴史化)という、庶民と記憶の関係に留意すること。