森崎和江『奈落の神々 炭坑労働精神史』 メモ3 

なぜ、森崎和江は、奈落の底の神々を追ったのか?

 

第三章の最後の項「消えない」にその問題意識、森崎和江の立ち位置ははっきりと語られている。

 

炭坑という奈落に生きる人びとが、共に生きた奈落の神々がいる。

坑夫たちは彼らの「やまの神」のみならず、地底の無数の死者、地下の死霊とともに生きている。(その死霊もまた、彼らにとっては「神」だろう)。

奈落でその神ととも生きるには厳しい禁忌がある。

 

それを森崎はこう語る。

それは農民の信仰をいびつにしただけのような外観をもちながら、実は、地上の常民との共同体をもちえぬ地下労働者となった人々の新しい「神生み」ともいえる精神過程であった。

 坑夫にかぎらず、働きつつ生きて、愛を求め、子を生みついだ名もない者たちにとっては、神とは、働く現場や愛の現場や子を生むその現場に、とある依代に依って立ちあらわれて、そのいとなみに神意をおよぼすところのはるかなる超人的な共働者であったと、私は感じつづける。だからこそ身をつつしみ、神との共働に堪える存在を、わが霊魂や共同体内の特定者に要求した。

 

近代化の過程で大資本が炭鉱経営に乗り出す。

炭坑に流れ着き、貧しさ生き難さ命がけの日々の中でおのずと原始共産主義的な共同体を形作り、国家や権力の使い勝手のよい管理名簿でしかない戸籍など感覚的にあっさりと拒んで、(どうせ戸籍なんぞをいいように使って家長が娘を遊郭に売り飛ばしたりするんだろう、というような直観的忌避)、みずからの<やまの神>を生み出した地の底の坑夫たちを、大資本の炭鉱では国家の論理に飲み込んでいこうとする。

国家の論理に従順な神を、炭坑の資本主導の「山神社」を、坑夫たちの<やまの神>に覆いかぶせていく。

 

それは、地上の無数の無名の神々が淫祠邪教とされて、近代国家の神の体系から放逐されたり、あるいは去勢されて組み込まれたりしたあとの、最後の仕上げとしてやってきた、近代国家による奈落の神々殺しと言ってもよい光景だろう。

 

地下の死霊と共に働きうる者のみによる、死者の魂の鎮魂があったのである。それは坑夫たちの生身に骨の髄まで染みついた死者との対し方であり、祈りであり、生き方であった。

それが、大資本に対する坑夫たちのストライキという形態で現れ出ることもあったから、なおさら大資本主導の「山神社」は必要とされた、と森崎は喝破する。坑夫たちがみずから生み出した共同体とその神々を抑え込むために、と。

 

山神社は、まさに神国日本の真髄のごとく、坑夫が見つめる神に重層させる必要があった。それは大資本炭坑ほど意識的に「やまの神は山神宮にあった大山祇命である」ことを教育したのであって、市場競争にさらされてあえいでいた地方中小炭坑では、問題意識にすらならなかったことである。そこではやまの神さんは相かわらず黒髪の呪力すら失って、ガス気にやかれたちぢれ髪で生霊・死霊と共にあった。が昭和七年に山神宮を建立した住友忠隈などは、従業員を山神宮の氏子とすべく、住友忠隈神社氏子親友会という管理体制を敷いたほどであった。

 

 

ここで、森崎は、神と人の関係をめぐって、根源的な問いを投げかける。

 

「およそ氏子とは、その発端はかような人為的なものではなかったはずである。」

 

同時にこうも言う。

「いわば古代国家の支配体制が確立して以来の神と氏子との関係には、この人為性が全くないと思うほうが不自然である。」

 

森崎は、ここで、<生産=富=権力=国家=抽象>の思考が、<生殖=生きて、死に、つながる命の循環=自然の生態=具体的生身>への慎みを失い、生殖をけがれとしていったことに言及する。

 

(私たちは、権力と神と人間と共同体について、もっともっと考えねばならない)

 

 

かつて子産みは血のけがれであった。村では村はずれに産屋を設け、女ったちはここで子を産んだ。不浄の者との別火の風習によって、家族とは別火でつくられた。

 (中略)

 

けれども神と民衆とが直接性をもっていたころは、いのちが生まれることは、死してそれがかえっていくくにから、その彼岸の摂理に従ってこの現実へと魂が送りだされることであったから、その摂理がおよんでいる産み女は、ぜひともそれにふさわしい場所を設けて移す必要があったのである。そこに産神が立ちあらわれる。

 

(中略)

 

あの世とこの世との境界である村はずれや海のほとりや山上に産屋が設けられた歴史は、死者へのつつしみと表裏一体をなしている。

 

(奈落の神々を追う森崎が、産小屋を訪ねて海沿いに旅する森崎でもあったことを、私がここであらためて想い起こす。)

 

生産の神と生殖の神が分離される。

生産に関する神格が統治神に吸収される。

生命の神話は、生産の神話に従属するものとなる。

子産み、月事、死、これすべてけがれとなる。

入坑者もまた死の穴にもぐるけがれ多き者とされる。

 

それを踏まえたうえでの、森崎の『奈落の神々』の意味づけは、次のようになる。

この小論は、いわば生命の神話がまだ農民社会には生産の神話にともなって生きていた頃から、いちはやくその有機的な生態と観念からはずれて、近代的合理主義の洗礼を受けることなく、近代的生産の暗黒界に入った人々の苦闘史である。

 

 

この苦闘史は、

地上の文明が機械文化によって、かつての生産の神々を追い出したように、そしてまたそのことで生命の神話をも合理化したように、地下にも同質の合理性が浸透してきたところで終わった。

 

(ここまで森崎の言葉を追いかけてくれば、地上も地下もすでに生命の神話を失い、世界は生産の論理で覆い尽くされた「闇」のように感ぜられる。もちろん、それは、命にとって闇だ。)

 

その一方で、森崎はこうも言う。

堀子や坑夫が辿ってきたように、環境としての自然にはすでに神々は死滅していることを知ってもなお、生命という生態は人間の目的意識には従属しないものであることを、生命を素材としつつ証言しようとする。暗黒の地下から資源を得つつここまで来て、しかもそのながい歴史時間の間、地下の精神世界を全面的に無視しながら文化を論じて生きてきた。そこには人間の精神にとって先駆的な体験がつまっていることに無知であった。

 

(地上の精神世界が切り捨ててきた、地下の精神世界があるということ。

光あたるところに生きる者らの想像力ではけっして届かない、闇の想像力があるのだということ。それも光ある世界を地底から支えるがごとき想像力であり、営みなのだということ。)

 

人間は、くりかえし暗黒の地下へ弱者を追うことで生きのびんとするだろう。自然を加工しつつ増殖する生命を養うことだろう。そしてまたその加工現場には、死者のくにへとかえっていくことが不可能な死霊を無数に浮遊させるにちがいない。

 が、また、それら死霊とともに生きんとする人々も絶えることはないだろう。水俣病に苦悩する人々とそこに共にいおうとする人々の姿にも、私は、生産と生命との神話の亀裂に通ずるものを感ずるのである。

 坑夫たちが地底から追われたその場に私たちは立たされている。その地点から、やみくもに生きねばならない。

 

 

どうやら私たちは、

1973年に森崎和江がこの言葉を記した地点で未だに足踏みしつづけている。

(なんとか踏みとどまっているのか、後退しているのか……)、

闇は地下にも地上にもさらに広がり……。

しかし、この闇こそが、生きぬきたい私たちの出発点であるということ、

ここしかないのだということ、それをぎりぎりと噛みしめるのが、

2021年の私たちの現在地だ。

 

「やみくもに生きねばならない」と語った森崎は、「ただひたすら生ま身でありたい」とも言った。生産の神話に飲み下されてしまうことなく、生命の神話を生き抜くために。

生ま身であること。

これもまた、闇からの再出発のかけがえのない足場となる。

生ま身を忘れ、生ま身を知らずに、生きてきた私たちであるだけに。

 

『奈落の神々』のしめくくりの言葉は、それだけに重い。

ただひたすら生ま身でありたい。が、それが実に困難な時代になってきているのである。

 

ますます困難な時代。

それが2021年の私たちの現在地であり、出発点なのだ。

 

明治維新の担い手たちが権力の依り代として押し立ててきた「稲の王」天皇と、それに連なる神々の体系の近代的再編がある。

その神々のもとで推し進められた富国強兵という言葉に集約される近代化がある。

そこには、世界への、文化への、人間への、命への「想像力」のますますの貧困がある。

生きとし生けるものすべてへの慎みの欠如がある。

 

だからこそ、

生産を超えて、生命へと還ってゆくこと。

ふたたび生命からやりなおすこと。

生命を抽象で考えないこと。

いま、ここから、生命の神話をいまいちど紡ぎ出すこと。

 

石牟礼道子とは対照的に、生命の神話を打ち捨てた近代日本の直系の娘として植民地に生まれ落ち、敗戦後の日本で、(あるいは、生産の神話に覆われゆく日本で)、あらかじめ失われていた命の拠り所を求め、命の思想、産みの思想を求めて果てしなく旅する者となった森崎和江の、旅の苛烈さを想う。

茫然とする。

(戦後すぐから『奈落の神々』に至るまでの二十数年の彷徨いの日々があり、さらにその後も彷徨いの旅はつづいたのである、その旅は生ある限りけっして終わらない)

それを想う私は、この彷徨いの旅に連なる私でありたいと願い、同時にこんな苛烈な旅をどうやって生き抜くのかと怯む私でもあり、怯む私を叱咤する私でもある。

そして、また茫然とする。