いきなり第7章。「歴史の限界とその向こう側の歴史」  大事なところです。 ここでは、西洋出自の<普遍的>歴史学が直面する歴史の限界と、その向こう側に広がる普遍化を否定する歴史の数々、いわば「危険な歴史」の位相が語られます。


まずは、章扉に置かれたこの言葉。噛み締めるべし。


アボリジニのあらゆる情報システムにおいて、知識とは特定の場所と人々にかかわっています。別の言い方をすれば、アボリジニの知識体系で最も重要なのは、知識を普遍化しないという点です。知識が特定化されて地方化しているという事実は、その知識が価値をもつための鍵なのです。(デボラ・B・ローズ) 


ここで語られているのは、土地を失った知識、命を育む風土を知らない知識とは対極にある「知識」ですね。

「命」とは土地に根ざして生まれ育まれ生き死んでゆく、あくまでも「具体」なのだということ。
(cf 管啓次郎『野生哲学』。ここで語られていることとも強く響き合う)



●『ラディカル・オーラル・ヒストリー』は、歴史が歴史学者によって独占され、<西洋性=普遍性>が当然の前提となっている、その前提に果敢に揺さぶりをかけてゆく。
それは、
「アカデミックな歴史学とは異なる場所で営まれている多様な歴史実践を、神話や記憶といった歴史の外部へと排除せずにとりあげる試み」



●扱われるのは、「普遍的歴史」に対する、オーストラリアのアボリジニであるグリンジの歴史実践としての、「地方化された歴史」、「超自然的な歴史」。具体的にはグリンジによる「オーストラリア植民史」。



●グリンジの歴史物語りには、明らかに史実とは異なるものがある。
・グリンジ・カントリ―には来なかったキャプテン・クックが、グリンジの者たちを撃ち殺したとされている。
キャプテン・クックをめぐってはグリンジ内に複数の物語がある。
・グリンジの歴史実践においては、一見相互に矛盾する複数の歴史物語が共奏することが多い。
  

それゆえに、このサヴァルタンの語りは、アカデミックな歴史としては受け入れられないことになる。


<地方化された歴史>

全体性を想定しない断片
<普遍的な>歴史時空に還元不可能な歴史
地域社会の歴史ではなく、地域社会化された歴史
アカデミックな<普遍的>歴史学により拒絶される<断片的な>歴史。

しかし、これは<間違った歴史>なのか?


歴史学者が「その歴史は間違っている」と語るとき、そうした発言がいかなる知識体系に条件づけられているのか?」
「アカデミックな歴史時空からのみ発話する研究者は、はたしてグリンジの語る歴史が正しいか間違っているかを判断できる立場にいるのであろうか」
「その判断は、いかなる権力・真実の準拠枠のうちになされているのだろうか」


「このようなアボリジニの人々による歴史実践が我々に突きつけているのは、歴史時空の根源的多元性であり、西洋近代を普遍化することに取り憑かれてきたアカデミックな歴史の限界である」

「こうした「危険な歴史」を「間違った歴史」として排除することは、アカデミックな知の権力が世界にひろがる多様な歴史時空を植民地してゆく営み以外の何ものでもない。」



<ポスト世俗的な歴史叙述>そこには歴史学にとって「還元不可能な多元性」がある。

近代化=世界の脱魔術化は、世界を支配する唯一の原理か?
歴史学者であっても、世俗的で均質な歴史時空とは異なる、神や精霊が行為する時空にもその身を同時において生きているのである。たとえそれが、近代の公共世界から周到に排除され、生活世界の中で<断片化>されているとしても」


★ここで重要なのは、長い長い人類史のなかで、人間の生きる世界、人間の思考、人間の活動において、「聖性」はずっと決定的に重要なものであったということ。人間が「聖性」を省みなくなるのは、西洋近代が世界をおおいはじめた、たかだか100年〜200年くらいのことだということ。

とはいえ、「人間の思考や活動にとって、聖性は過去のものではない」 byエリアーデ

cf) 石牟礼道子の文学世界。
文学において既にその核心において起こされている「聖性」の蘇生、「聖性」の語りは、保苅のいう「ポスト・セキュラリズム(ポスト世俗主義)」への流れを既に体現しつつあるのではないか。
もののけ姫千と千尋ナウシカ、これらジブリが差し出した世界も、この世界の聖性に焦点を当て直したものとしてとらえ返してみる。)


「ポスト世俗主義がめざすのは、超自然的存在あるいは霊性と呼ばれているものを、世俗主義者のように公共世界から排除せず、しかし原理主愚者のように普遍化もせず、深く多元的な世界の相互交渉を促進する地平を切り拓く作業である。」




<クロス・カルチュラライジング・ヒストリー>


ヨーロッパを地方化し、そして、「歴史の詩学」を試みること。

●歴史の詩学とは?
「過去に関する知識は、すべての人々がそれぞれの文化や社会のシステムのもとで表現してきた。……多数の文化があるように、多数の歴史があるのだから、その形式や構造や機能に応じてエスノグラフィックな記述をおこなう必要がある。歴史の詩学とは、こうしたエスノグラフィックな記述のことである。」


保苅実は、多元的歴史時空を多元的に記述するためのアプローチとして「歴史の詩学」を捉えている。
(ここで思考をクラストルの『国家に抗する社会』に接続してみる)


●歴史のハイブリッド化。
グリンジの歴史実践は西洋近代の到来以来、ハイブリッド化されてきている。
しかし、一方、歴史学のほうは十分にハイブリッド化されてきたか?

非対称。
アカデミックな知の権力作用。
それを支えるグローバルかつナショナルな政治経済構造のゆえに。



<歴史経験への真摯さ>


歴史的真実とはただ一つではなく、無尽蔵にあるものである。
一方、歴史への真摯さは、歴史を探索する主体と探索される客体との関係性のうちにある。

「歴史的真実」から「歴史への真摯さへ」(テッサ・モーリス=スズキ


「グリンジで営まれている「地方かされ」「超自然的な」歴史分析において、大蛇もクックも<経験的な歴史への真摯さ>のうちにある」



「<経験に真摯>であるという特徴こそが、グリンジの「危険な歴史」が、例えばホロコースト否定論者が営む「間違った歴史」と根本的に異なる点である。



<歴史的真実>は、しばしば閉鎖的で排他的になる。しかし、<歴史への真摯さ>は、他者に対して開かれている。

「そう、アボリジニのやり方と白人のやり方を両方学ぶべきだ。世界のどこからきた者であっても、共に暮らし、共に働くべきだ。これはとても困難である。でも少しずつ、お互いを理解しあってゆけばいい」(グリンジの長老 ミック・ランギアリ)



保苅実はきっぱりとこう言う。

「アカデミックな歴史学は、「危険な歴史」が突きつける<経験的な歴史への真摯さ>と交渉関係にはいるべきである。」


十九世紀西洋の産物である<普遍的>歴史学の限界を隠蔽せず、それをあからさまに記述することが重要なのではないか。


それは、「永続的緊張関係にある、互いに矛盾する二つの視座の対話」なのであり、こうした対話を思索的に営むのが「ヨーロッパの地方化」論(チャクラパルティ)であり、これをエスノグラフィックに行うのが「歴史の詩学」(デニング)であるならば、クロス・カルチャラライジング・ヒストリーの企ては、この両者の交錯点にたち、「危険な歴史」をめぐる位相をエスノグラフィックに叙述しつつ<経験的な歴史への真摯さ>をつうじた多元的歴史時空の接続可能性――ギャップごしのコミュニケ―ション――をどこまでも粘り強く模索しつづける営みである。