トークイベント前口上


<韓国の小説を読む愉しみ>のために。   
 まずは、私、姜信子の韓国文学体験。
 植民地期の李光洙をはじめとする作家や韓龍雲をはじめとする詩人たち、戦後では崔仁勲、李清俊といった重厚な作家たち、少し変わったところでは李外秀といった作家。かなり偏りがある。
 そして、今回のイベントをきっかけに、ここ数年日本で出版されている新しい世代の作家の作品を集中して読んだ。
 面白かった。言葉に芯があった。文学が生き生きと躍動していた。力強かった。そこには韓国語で書かれた普遍の文学がさまざまに咲き乱れているように感じられた。
 なぜだろう? 
 振り返れば、植民地支配があり、南北分断があり、朝鮮戦争があり、軍事独裁があり、絶えまなくつづく厳しい政治の時代のなかで、文学がいやおうなく現実と対峙せざるえない時代があった。それは、厳しい世界に生きる具体的な「私」の困難な現実から、世界と人間に向けた普遍的な問いが、思想が、文学が生れいずる時代でもあった。
 そして軍事政権が退場した1990年前後の頃から、現在に至るまで、次第次第に、厳しい問いや思想とともに文学の中に深く溶け込んでいたきわめて韓国的な状況が、文学の遠景となるにしたがって、別の言葉で言うなら、状況を客観化する時間的空間的距離が生じるにしたがって、文学はより自由に多彩に豊かに開かれてゆき、文学の芯に置かれた問いと思想はより深められていったのではないか。
 それは、個々の現実と普遍的な問いや思想とを結ぶ糸が、切れたり見えなくなっていたりする現在の日本の状況の中での文学の苦境とは、好対照の文学風景のようにも感じられる。
 日本で日本語で文章を書く者として、なんだか妬ましいほどに、現在の韓国文学は刺激的だ。

 
 当然のことながら、どこの国でどんな言葉で書こうとも、一作家として文学に関わる以上は、そこには人間としての普遍の問いがあり、思想がある。
 個々の作家にとって、その問いや思想とは、天から啓示のように降ってくるものではなく、自身の生の中にある。それは生まれ育った時代、社会、家族、さまざまな固有の経験から、必然的に生れいずる問いであり、思想となるだろう。そのことを念頭に置きつつ……。


 さて、本日のゲスト。
 1971年生まれの『生姜』のチョン・ウニョンと、1963年生まれの『アンニョン、エレナ』のキム・インスク。この二人の作家は、実に対照的。

 まず『生姜』。これは支配と服従の物語。そして、なにより、象徴的な意味においての「父殺し」の物語。それも娘による。(息子による「父殺し」なら、ギリシャの昔から書かれてきたことだ)。
リズミカルに畳みかける文体、ことさらに毒をはらむ、断言する、闘う、時に暴力的ですらある言葉。「生姜」に込めた問い、もしくは秘密。

 たとえば、こんな一節。
「王が群れを率いるためには必要なものは何か。にんじんだ。常に食べ物をあてがってやらねばならないという意味だ。自分の群れを危険から守り、食料の心配をなくしてやるのが王の任務だ。なら、ニンジンだけで王の座が維持できるか。いや。にんじんを与えたら今度は鞭もくれてやれ。恐怖だ。王に逆らう者は群れから追い出してしまえ。王のいない外の世界は危険だ。だから王の言うことを聞き、王の保護を受けろ。これこそが王の座を守ることなのだ」
 さて、王(父)をめぐって物語はどのように動いてゆくのか?

 一方、キム・インスク『アンニョン、エレナ』
 この短編集は、全編、夢を見ているような、人というのはそもそも夢を生きているかのような、はかなく、揺らめく、虚実も定かならぬ、意味すらつかみかねる、そういう光景。人と人の間でなにかが痛み、なにかが哀しみ、なにかがそっと微笑む、そういう光景。そうして生きている、それが人生というものであるような、忘れ難い夢のような、癒しがたい傷のような、読み終えた瞬間に気配だけを残して消え去ってしまうような、そんな小説世界。

 たとえば、さりげなく置かれた、波紋のような余韻を残す印象的なフレーズ。
「母は時々ぼんやりする。自分が失った物が何なのかを考えるために。忘れてはならない重要なことことのような気がするのだが、それが何なのかわからない。それで煎じ詰めて考えてみるのだったが、そうすれば、それってそんなに重要なことだったかしら? そんな気もしてくるのだ」
「生きていく日々の中にくぼみのように落ち込んでいる穴があり、もしその穴にも敬意を表すべき何かがあるとすれば、それは中央にあるのではなく、中心を取り囲んでいる些細なことがらの方だろう」
 些細なことがらこそに魂が宿る、その魂に触れる言葉が金仁淑の世界にはあるだろう。

  ということで、ここからは、二人の作家に話を伺うことにしよう。