森作和江 北への旅 その2 メモ

『原生林に風が吹く』簾内敬司×森崎和江

 

◆旅のはじまり 道案内人は簾内敬司

木に会いたい、その旅へと急ぐ、森崎和江がいる。

「なぜ、東北は、山を恋うのだろう」

私が今会いたい木は、それら私や私の親世代たちが踏みわたった近代の影などにおびえることなく、また地球の病気にめげることのない森林です。つまり私は、わが身につもりつもった垢を、斬り捨てたいのかもしれません。今は幻のようなお山信仰の地霊木霊によって。 (「はじめに」より)

 

 

◆北へと向かう森崎の自己認識

 

私が植民地であたかも無時間の空間であるかのように、そこに在る村や町や山や川を踏み渡って生きてきた、昔日の自他認識の形が、今は、日本人一般の日常感覚となっているようだ、ということです。そこには木や水への記憶の、個別性しかありません。いえ、それもありません。(中略)こまぎれになった風土、こまぎれになったゆたかさ、たくさんの他人の生を無音の原っぱとしてキャッチする個体の感覚、そして、それらを個別にネットワークする能力だけがピカピカ光ります。その能力があれば十分に生きていけるのですから。近代国家の社会では。優等生として。戦前も戦後も。

 

 

◆簾内敬司の応答  ーー日本という国ーー

 

私は、日本というこの国が、少数民族や絶対少数者や少数意見といったものについて、歴史的に一貫して無関心であったと考えることがしばしばなのです。逆説的に聞こえるかもしれませんが、無関心であるがごとくに「少数」というものを積極的に蹂躙して来たと言ったほうがいいでしょうか。これは積極的無関心とでも言うのでしょうか。それは千年の昔も現在も相変わらずの構造に見えるのですが、これが将来も貫徹されるものであるとすれば、もはや日本などなくていい。

 

 

森崎和江  高ざれき

 

私は、九州に住み始めてから、対馬暖流のまにまに列島を北へ北へと旅しました。もちろん南の島々へも幾度となくいきました。でも、なぜか日本海を北へ向かうのが自然でした。(中略)

 こうした旅は、旅という言葉はふさわしい内容ではありません。しかしそのことを強調しようとは思っていません。どう見えてもいいのです。九州で、とある知人が、あんたも高ざるき(歩き)するのう、とおっしゃった。遠くまでさまようことをそう言うそうです。私はただ、日本人へと、生き直したかった。私が好きな日本人に出逢って、その心をわが身へ移したいと願いました。

 

森崎和江  「さいはて」について、めざすべき「場」について。

 

それは(簾内さんが)おっしゃるように、地理的概念や歴史的概念で推量してもとどかぬ遠い時空なのでしょうね。「遠く」とは、社会概念の表層を統御している政治的現象から、たとえば雪の色一色で伝達し合う時空へと渡っていくことかもしれません。

「内面の時空に、宇宙空間全体が重なり合ってくる」場。「絶望と同じくらい、深い無限」。

 でも、私には、文字界ではなく、それ以前の、もうすこし生ま身の律動に近く共鳴する音や調べや声で、私の内奥深く沈んでいるその「場」を外化しつつ共存したい思いは深いのです。

 

(中略)

 

私は「昭和の子」として生まれました。私の表皮は、現代の「進歩」が刻む時間に翻弄されつつ、懸命に自己増殖してきました。植民者二世の刻印を彫られたまま。今日まで。

 その表皮を作り変えるべく、私の肉は、列島をめぐる水と共に、近代百年をさかのぼる旅行をしてきました。列島の百年二百年の水を呑もうと、うろつきながら。

 そして、私に魂があるなら、十年刻みの「進歩」の時空を、百年二百年刻みで変質した社会の歴史時間と重なりながら、まるで千年単位の宇宙の運行のようなマンダラが、表皮や肉をつらぬいて宙空へ声もなく叫んでいるのです。いのちの原初の場で。

 一人の人間とは、こんな時間軸を背骨にいれている気がします。

 

森崎和江の、<いのちの原初の場>への果てしない旅を想うこと。

 

私が文字で生計を立てる力しかないと判断した時、近代日本の百年あまりの実態をわが心身に叩きつけること以外、考えられませんでした。生ま身の私からこぼれる声は、朝鮮の自然と風物を吸いとった声でした。私は生ま身を殺すことを考えつづけました。ですから、必然的に、ノン・フィクションを、それも海外へ売られた女やサハリンに幕末から漁場を拓いた男などと、近代史を民族の内面性をとおして辿ってみようと努めました。自分を表現したかったのではありません。

 

自分を表現したかったのではない。でも、それをしなければ、生きてはいけなかった。

経済の問題ではなく、精神の問題として、思想の問題として、命の声として。

 

しかし、私のなかの千年はうずきつづけました。潮のまにまに流れつつ生きた狩猟者のように。私のなかの、文字以前の女や男が、微笑しつづけました。こんなことを、私のような、他民族の天地を吸った存在は、文字化すべきではない。でも、これは簾内さんへの手紙です。

 

★簾内敬司  1000年の旅人が往来する十三湖を語る

森崎和江『クレヨンを塗った地蔵』を引きつつ。)

 

かつて十三には国内外のさまざまな人物や物や精神が往来しました。(中略)おれが地吹雪ののなかへ忽然と姿をけすようにして滅び、そのあとに生き残りつづけたものは賽の河原の石たちや路傍の地蔵たちの風景でありました。「クレヨンを塗った地蔵」のなかの津軽の老いた母親たちの姿や表情はいずれも深く、まことに土地神のように思えてきます。

(中略)

地蔵を祀り、ねんごろに着物を着せ、頭巾をかぶせ、クレヨンを塗りながら死者たるわが子いぼそぼそと話しかける母親たちは、すでにあの世とこの世を往来しているもののようです。死者たちを弔うのに、彼女たちほどねんごろな者たちはおりません。彼女たちほど、死者たちに守護されている者たちもまたいない。彼女たち人間だけでなく、土地ごとまるごとそうなのです。十三にいくには、誰もがそうしたところをくぐり抜けていかなければなりませんでした。

 森崎さん、十三往来の人びとは昔だけの話ではありません。森崎さんもやはり十三へいかないわけにはいかなかった。

 

これは、簾内敬司による、森崎和江がどうして北へと向かわねばならなかったかの、イタコ語りのようなものでもあるよう……。

 

私もかつては十三往来の一人でした。途中、雪が下の方から逆さに降るような往来のときもありました。律令の国の外、そのまたぎりぎりの縁が中心であるところの時空へ心が誘われて十三往来するのです。(中略)千年を往来している人間は現実にそこかしこにいると感じさせる経験が十三往来にはひそんでるようです。 P66

 

簾内敬司の、この森崎和江への返信には、次第次第に、反閇の音が響きだす

dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah……

宮沢賢治が「原体剣舞連」の中に響かせた、反閇と剣舞のとどろきだ。

そして、簾内は、「言葉ではなく、しぐさの方へ」ときっぱりと、森崎和江に応答する。

 

言葉でなく、しぐさの方へ。

 

dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah……の響きにのせて、

簾内の手紙は、

   十三往来から北上へ。

見事だな、簾内さん。

 

星空と大地は日夜、激しく交流しています。星空に向かって呼びかけする人びとがいるように、大地に向かって敬虔な祈りを捧げる人びともおりました。そうした人びとの足裏によって大地の意思は伝えられます。私たちの呼びかけや足裏はそのようにして星空と大地につながっているのだから、人間はそのつながりの風景だとは考えられないものでしょうか。そのつながりの風景を踊る人びとがかつておりました。

 

dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

 

その踊りの身振りは、人間の心象界に蓄積されて見えて来た自然の景観の変形にも思われます。景観は捻じれ、裏返り、もうひとつなぎの風景が実現されているに等しい……。様式を踊るのではなく、風景を踊る。自然界と心象界の総体としての千古の風景を。

 

このまま簾内敬司の素晴らしい応答を書き写していこう。

dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

 

 森崎さんがおしゃる通り、「いのちの原初の場で」「一人の人間とは、こんな時間軸を背景に入れている」のだと私も思います。私はその踊りを見るたびに、反閇を反閇とさえ言わなかった遠い原初のしぐさが、力の片鱗のように、そうした身振りのどこかにこぼれ落ちるようにして見え隠れしていないかとさがすのです。けれど、それを見つけたところで言葉にはなりません。言葉にならないものを伝えようとすると、たちまちペンが渋り、軋み、とまります。それをどう伝えるべきでしょうか。不滅のしぐさがあるだけです。

 

「言葉にならないものを伝えようとすると、たちまちペンが渋り、軋み、とまります。それをどう伝えるべきでしょうか。不滅のしぐさがあるだけです。」

 

 

これもまた、簾内の声であり、森崎和江の声。ため息の出るやり取り。

人はこうして、それぞれに不可能な道を歩みながら、声を交わしながら、不可能を超えてゆく。不滅のしぐさの方へと。