八重洋一郎詩集 『日毒』 怒りの爆発!!


「日国 琉球侵入以来 各島々は如何になったか」 その知らせを中国の福州琉球館にもたらした八重山の役人がいる。
それをうけての中国側の記録はこう伝える、
「……光緒五年日人が琉球に侵入し国王とその世子を虜にして連れ去り国を廃して県となし……只いま島の役人が 君民日毒に遭い困窮の様を目撃 心痛のあまり危険を冒して訴えに来閩……」


日毒



「祖母の父の居室であった地中深くから ボロボロの手文庫が見つかり その中には
 紙魚に食われ湿気に汚れ 今にも崩れ落ちそうな
 茶褐色の色紙が一枚 「日毒」と血書されていたという」


そして今、また、


「日毒ここに極まれり
(その腹中はどんなに他人を犠牲にしても、自分だけは生き残る)
(血の色の大輪咲かせ己れだけは生き残る)
 日毒ここに極まれり」


これは、
「くるひゆく しづけさのほの暗い言葉」

正気であるからこそ、くるふほかない者の 言葉  詩。


※思い出す、小野十三郎『詩論』の中のこの言葉、
「悲しみと怒りの極まるところで、新しい方法を持て」。