舟をつくること。そこにすべての「命」の歌がある。 台湾・蘭嶼、タオ族の倫理。


★5歳の時、1962年9月の舟の完成祝いの祝賀会の情景。
父の語り聞かせてくれた物語を、50歳のシャマン・ラポガンは繰り返し夢に見る。


「山の深い谷間で干上がった川の丸石に、五人の男たちが老人を囲んで座っている。彼らはコーヒー色のからだをして、タオ語のことば、考え方で、これから伐り倒す龍眼の木に向かって、樹霊を敬い、幸せを願う古調の詩を歌っている。老人は厳かな表情を浮かべており、歌声が静かな深い谷間に、自然人と自然環境がしっかり溶けあったように響き、いまだ異民族の文明に干渉されていない信仰を伝えている。老人が口ずさみ、若者が古調の旋律をまねて吟唱している。柔らかく沈んだ音律が大自然の樹霊を讃えるとき、ひきしまった筋肉に木を伐るための力がどんどん満ちてくる。それは形をあらわした竜骨がはや海上を風に乗り波を切って進んでいるような感覚だった。」


「舟造りとは海との関係から、祈祷や儀式、宴や民族の科学をあらわしている」


「山と海のあいだを行き来する生活のリズム」がある。
タオの男は山をめぐってあちこちにある林を世話し、同時に海で長い時間をかけて生きることを学び、季節の気象に慣れ、大海からどのようにして魚を得るかを学ぶ。


「舟を造るというのは、祈りと儀式と山の神と分かち合う宴をあらわしており、心にさらに深く確かな感覚を探しあてさせることだと僕は考えていた、僕は山にのぼる前の晩は、斧の霊魂を静かに休ませ、山の住民(樹木)や山の神に安らかさをお与えくださいと願った。」


(女たちの祈りの言葉も心にい染み入る。シャマン・ラポガンの妻はイモを植え付けるときにイモたちにこう語りかける。
「十分に土地の養分を吸ってください。あなた方は私たちへの贈り物です。それにあなたたちのおかげで私たちは土地と親しくなりました。美しく育ってくれたら、もっとお世話します。喜びが増せば、私たちはどちらも丈夫になるでしょう」
人間が口にする言葉の中でも、実に美しい言葉。)



★「舟を造れない男は低級な男だ。」とシャマン・ラポガンの父は言った。
そのような「男」は人間は環境の生態種のひとつに過ぎないということが理解できないことを述べている、とシャマン・ラポガンは記す。



「山林にいるのは、自分で舟を造る必要があるからだ。そうしてはじめて民族科学によってトビウオ招魚祭を行い、海に出てトビウオ漁ができるのだ。だからトビウオや海のほかの魚を捕ろうとするなら、舟をつくらねばならない。これは生態が永続するための循環概念であり、生存倫理である。」


「山林の木や海の魚がみな死に腐るように、肉体(木の肉、魚の肉を含む)は土に帰るまえに、どの種もみなその知恵や環境の違いによって、異なる生存の習性や民族の文化をつくりだすのだ」


「必ず自分で山に行って木を伐る仕事をし、海に行って漁をしなければならない。これは「肉が腐るまえに、生態種は生存の延続のために、互いに利益を与えあうからだ。だからタオ人は「儀式文化」で生態種に対する敬愛の念を体現するのだ。もし舟をつくらなければ、木の美しさや魚の優雅さを理解するのはたいへん難しい。さらに生態圏の知恵を理解しないのは、路傍の雑草や低級な人間と異ならないのだ」



★シャマン・ラポガンは、伐り出されてやがて「舟」となる木に向かって、歌いかける。
 これも美しい歌。


おまえが村の幼なじみなら
おまえは僕の最も親しい友だちだ
だから僕らはいっしょにトビウオを釣り、シイラを釣ることができる
小蘭嶼まで航海していっしょに漁をしよう
いま、おまえの樹肉がコウトウラノキのように柔らかくて、僕を楽にしてくれることを願う
僕らは早めに美しい湾で休むことができるだろう。



★シャマン・ラポガンの父は、息子にこうも言った。

「わしらの時代がどう変わろうとも、おまえは孫を連れて山に行き海に潜らなくちゃならんぞ。わしらの島の精霊に孫を知ってもらうのじゃ。」

「山と海におまえの体臭をかぎ分けさせる」のだと。



★筆を擱く前にシャマン・ラポガンが言う言葉。

「もはや伝統儀式の継続の問題だけではない。現代的な文明が虫食いのように、僕らの内部から野性純度の優れた遺伝子を食いちぎってしまうことが大きな問題なのだ。」

「先人たちは去っていった。野性環境に適応した彼らの美しい姿と共に。からだは土に帰り(台湾で死んではいけない)、林の木が再生する有機養分と化した。僕は自分で造った舟を漕いで夜の漁に出る……僕はとても飢餓感を覚えていた。