植民地朝鮮の土地調査事業に関わった農政官僚としての柳田国男。その山人論はどこから来たのか。『遠野物語』、『石神問答』はいかにして生まれたのか、それを「植民地政策から切り離すことはできない。

と、村井さんは言うわけです。

『後狩詞記』『石神問答』『遠野物語』三部作は、1909年〜1910年の著作。
この時期柳田は法制局参事官、内閣書記官記録課長として「日韓併合」に関与。

植民地統治、その嚆矢としての「土地調査事業」に農政官僚として関わった柳田にとって、「山人」とはそもそもいかなる存在だったのか、それは台湾の「高砂族」であり、北海道のアイヌであり、朝鮮ならば「火田民」となる。つまり土地を持たぬ焼畑生活者、「山人」「山民」である。

「石神」=土地の境界神に関心を持ったのも、「古代民生」を見るため。つまり「古代」日本の”植民地政策”を見ようとしたから。(『石神問答』)


以下、本文抜き書き。


P24〜25
この「山人」への彼の眼差しは、農政官僚柳田が国内の小農民(小作民)政策に力を注いだこととパラレルなのである。つまり韓国に“近代的”な土地所有制度(日本側の「土地調査事業」の目的はここにある)を確立するにあたり、まず土地をもたない焼畑生活者、「山民」・「山人」の存在であり、柳田はそれを北海道から九州まで、また飛騨の山間まで跋渉し、また「古代」日本の歴史にあたることで、もとより台湾総督府の調査報告書を読み、江戸の地誌・民俗誌を読むことで、国内における異民族の実在を確信し(またぎや被差別部落民を異民族の末裔として)、その政策に反映させようとしたのである。


彼は「山人」(異民族)問題を提示し、その資料(情報)収集のために書簡で討論し、その生活文化を物語ったのである。


「国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ。此書の如きは陳勝呉広のみ」(『遠野物語』序文より)

これは「山上山人」のいわば“謀反論”である。つまり「陳勝呉広」(秦帝国末期の農民反乱のふたりのリーダーを言う)という言葉から言っても、「山人」の“謀反論”なのである。