牛頭天王の子である八王子の第八番目 蛇毒気神の物語に驚かされる。
竜宮から日本へと向かう牛頭天王の一行(妻の薩迦陁女、七人の王子、8万4千の眷属ら)を赤き毒蛇が波をかきわけ追いかけてくる。
赤き毒蛇が言うことには、
「我はこれ大王の御子なり」と。
もうけた子は七人のみと答える薩迦陁女に毒蛇曰く、
「愚かなることを宣ふものかな。
龍宮に七年ましまして七人の王子御誕生あり給ひしに、
その七度の後の物*を、
龍宮に聞こえたるちさんが池*に、沈め置きたる根源来たって毒蛇となる。
我もこれ父の体に宿りたるものなり。
天王の子にてまします。」
そこで薩迦陁女が
”さんごの胸をかきなで、両乳を合はせ絞りましませば、七人の王子の口にも蛇身の口にも、甘露の味はひとおぼえ、不老不死の薬となる”
という奇瑞が起こったがゆえに、赤き毒蛇は八番目の子として認められ、
薩迦陁女は赤き毒蛇に「本地をあらはせ」と宣うわけである。
すると、
朱染色なる毒蛇にてましますが、
一尺四寸の十一面観音とあらはれ給ひて、波の上に立ち給ふ。
そして、その名を八王子とも、宅相神天王とも、蛇毒気神王とも呼ぶと、島渡り祭文が言う。
*後の物=胞衣、月水(経血)=後産の胎盤
*ちさんが池=地逆の池
ここで山本ひろ子はこう述べる。
胞衣・血液の神格的表象というべき蛇毒気神。ここには出産や月水に関わる赤不浄や、胞衣に対する聖・穢の観念と習俗が横たわっている。「島渡り祭文」の制作者にとって蛇毒気神は、こうした女人の禁忌と聖化の信仰習俗の上に立ち、紛うことなく異形の女神としてイメージされていたのだ。
京都・八坂神社に伝えられる縁起などでは、牛頭天王の妻波利菜女の本地が十一面観音とされているが、(ちなみに牛頭天王は薬師如来で、素戔嗚と同体とされる)、
奥三河の「島渡り祭文」では、後産の胎盤から生じた蛇毒気神の本地が十一面観音という、その強烈な異形性が際立つ。波を渡ってくる蛇のイメージもまた鮮烈だ。
この祭文が山深い奥三河の地で伝承されていたこと、その原型となる牛頭天王祭文を伝えたのが修験者だったことに思いを馳せれば、
山伏祭文、あるいは説経祭文といった物語もまたそうであったように、
風土に根ざして、その土地に生きる者の実感に即して語り替えられてゆく「祭文」という芸能ののありようが、おのずと思い起こされる。
そこには、もっとも虐げられている者たちに対する感受性が息づいていたことも。(※)
山村の女たちの息遣いが、蛇気毒神=十一面観音のなかには込められているようにも感じられるのだが、それはまだ想像(あるいは妄想)の域を出ない話。
※たとえば、海に身を投げて、復讐の大蛇となる「説経祭文山椒太夫」の侍女宇和竹とか。
※ 牛頭天王とは直接的な関連はないが、おそらく修験者の山神信仰の流れを汲むものとしての、炭坑のヤマの神のありようとかも、ここではしきりに思い起こされる。
権力者があてがう神ではなく、人びとのあいだから生まれ育まれたヤマ共同体の神としての。(参照 森崎和江『奈落の神々』)
権力者にあてがわれたものではない「土地の神」「ヤマの神」とは、おのずと生きるための闘いのよりどころになる、抗う神となる。(権力者から見れば「邪教淫祠」)。
「島渡り祭文」の牛頭天王が、権力(釈迦)に対して真正面から抗う異神であったことも、民と神と共同体の関係を考えるうえで実に重要なことだと思われる。