2020年暮れから読み始めて、2021年元旦に読み終えた、今年最初の読了本。
いきなり、こう始まる。
私の名前はアリシア。女装ホームレスとして、四つ角に立っている。
君はどこまで来たかな。君を探して首をかしげているよ。
アリシアがいかにしてアリシアになったのかという物語が、アリシアによって語られてゆく。「君」に。
まだアリシアのもとにたどりつかない「君」に。
アリシアはくりかえし「君」に尋ねる。
君は、どこまで来ているかな。
君に、アリシアの季節のことを話したい。
アリシアは暴力にさらされている、
アリシアとは、落ちても落ちてもひゅうひゅうと穴に落ちつづけてゆく少年アリスなのだという。
穴は底なしだ。
君は、どこまで来ているだろうか。
アリシアの父が犬を煮ている。
「君」とはアリシアを不快がる「君」だ。
アリシアも、アリシアの物語も、ついには他のすべてのものと同じように消えていくという「君」だ。
アリシアと同じように、この街のどこかで夢を見ている「君」だ。
アリシアは最後に言う。
君はどこにいる。
君の番だ。このことを記録するただ一人の人間である君、君はどこまで来ているのか。
このことをどこまで聞いたか。
このことを記録したか。とうとうここまで聞いた、これらのことを。
アリシアが君を待っている。
「君」とは、アリシアの物語を聴きつづけた「私」なのだということを、私は知る。
私はアリシアがついに語ることのできなかった、ついに名を呼ばれることのなかった弟の物語を、私/君とアリシアの間に宙ぶらりんにして残していく。
「弟」にたどりつくまで、アリシアの物語は終わらない。その痛みにたどりつくまで物語は終わらない。物語はゆっくりと実にゆっくりと痛みが骨の髄まで届くまで、終わることはできない。
いま、アリシアはどこにいる? 君はどこにいる? 私はどこにいる?
語られるべき物語、聞き届けられるべき物語はどこにある?
アリシアが「君/私」に語った物語/痛みについて、私はここでは語らない。
それは「君」自身が聞き取るべき、そして生きるべき物語/痛みだから。