森崎和江「わたしと言葉」 「祖母たちのくすり」メモ

 

女の人は、というか、わたし自身が女ですから、女の意識とか感性とかの中には、書き言葉によって自分を認識するということよりも、話し言葉によって自分や世の中を感じ取ったあとが残っています。またひとりひとりの女は、わたしが自分のからだの変化を想像の世界に取入れかねたように、それがずっと永い間経って、やっと自分の中に定着する。永い間とはどういうどういう永さかと言いますと、男を知って、その他人を自分の中に取入れて、子をはらみ、胎内の他人とも自分ともつかぬものを外に出して、そして、ひとりの「わたし」というものが完成する。(中略)

 それは完成というよりも、言葉のカオスです。そういうふうに、他者を内側に取入れてようやく完成してきている感じ。(中略)あるいはわたしは朝鮮で育ちましたけれど、朝鮮の風物、朝鮮の人々、そういうたくさんの不特定な人々や物たちの存在が、わたしに電波のように這入り込んでくることもふくみます。わたしの言葉の世界というのか、わたし自身というものは、そういう這入り込んで来た他者たちが熟してきたというのかな、(後略)

 

 

これは、「女」というくくりで理解する言葉ではなく、そもそもこの世界において「他者」とされてきた者が発する言葉として受け取りたい。

 

女は書き言葉の世界に這入って行ってみると、その書き言葉に込められている概念とか、それにくっついている社会的通念とか、感性とか、そういうものにひっかかります。わたしなどは、それらを全部ばらばらにして、それぞれ音楽みたいなものにもどして、それを自分の心身の感応にちかいものに組み直さなければ、自分の言葉にならないんですね。

わたしは永いこと外側にあるいろんな言葉を借りて、自分と言葉、あるいは、自分が日本で生きなければならない事実を、観念させようとしてきました。「お前さん、もうどんなに逃げ隠れても駄目だよ、このまま一生を送るんだから、日本語をちゃんと使って、みんなにまぎれこんで、正体がわからない様に生きなさい」と自分に命じ続けていました。その為には書き言葉にすがるしかなかったんです。

 

標準語世界=近代世界からの、言葉の破壊と創造による脱出の企みの出発点。

 

村共同体が共同体として昔と同じ形ではない様に、わたしは流れ者ですなんてさっき言いましたけれども、流れ者が流れ者としての伝統を生かすすべも昔のままではなくなっています。ですから、生まれた村に住めなくて、よその村から村へと流れ歩いた人々にわたしは付いて回ってますけど、その人たちが切り開いた媒介者の伝統を、これからのわたし達のつながり方みたいなもののなかに生かしたいなと、

以上「わたしと言葉」

 

かつて村々は、悪霊や疫病が村へ入ってこぬように、そして豊作が村を訪れるよう、さえの神さんを峠や村境に祀ったのだという。ところでそのさえの神のそのむこうから、よその地方の産物を運んでくる人びとがいた。そのような人をとおして、他国の話が村につたわった。村では出稼ぎの手づるも、そのような人にたのんだ。嫁のせわをねがった。争いの解決をたのんだりした。それはささやかでも、村とそとの世界をつなぐ、くらしのなかの文化の道だった。物々交換や、花の御札というお祝儀でみせてもらう芝居や、わずかな銭で買う他国の品々。それらはどれも村びとにとっては、どこからかやってくる人によってもたらされるものだったのである。

 

媒介者としての「他者」を想う。

 

わたしは暇をみつけては村や町の祭りをのぞいたり、露店のざわめきのなかを歩いたりしている。また産土の神と土地の人びとのかかわり方を感じとろうと村里をうろついている。そのようなときに心にうかぶちいさな島がある。それは玄界灘のまんなかにぽつりと針で突いたように浮かぶ無人島で、沖ノ島とよばれた。

 

ここから、宗像三神の国神道での位置づけと、沖ノ島を「おいわずさま」と呼んで信仰する漁師たちのなかでの宗像の神との大きな隔たりを森崎和江は語りだす。

それは、香具師たちの神「神農さん」と大阪の道修町少彦名神社との関係の考察へとつながってゆく。

 

神農さんという呼び名でしたしまれ、神農祭をもつこの社が、少彦名神社と名乗るそのいわれを、社務所では、古くから合祀してあったためだと説明した。ところで、『浪華百事談』という浪華のよもやま話をつづった書に、この社のことも出ていて、神農は明治維新廃仏毀釈のあおりをうけて、その呼び名も祭日もかわったとしるしてあった。

 

いまから百二、三十年まえのこと。そのころは医師のほとんどは道の者として職人衆のなかまだった。医師と陰陽師、薫物売と薬売、一服一銭と煎じ物売、などと職人歌合にも古くからあるように、町や村を巡歴した。(中略)この巡歴の医師薬売師をこそ待ちこがれる村びとも、ふえたのである。神農を稼業のおやとするものは、さぞ多くなっていたことだろう。

 

神農と香具師のつながり。