私は政治的に朝鮮を侵略したのではなく、より深く侵していた。朝鮮人に愛情を持ち、その歴史の跡をたのしみ、その心情にもたれかかりつつ、幼い詩を書いて来たのである。
自然界といのちとのシンフォニーへの愛をはぐくんでくれたのが「日帝時代」の大地であったこと、また、その大地に響きわたっていた歌とリズムであったことが、つらくて、幾度となく崩れました。
それでも、表現とは、自分と外界との響きあいを、ことばや音や色や形へと対象化させることだと思いつづけてきました。というより、生きることは本来そういいうものなのだと考えるようになってきました。
詩とは、自然や人びととのダイアローグだと、幼い頃から思っていました。
新しい境地、新しい言葉の世界、そういうものを切り拓かない限り、詩にはならない。
生きていく、ということは、やはり、対話する空間を作り合うことでしょう。
木霊のように返ってくること。響き合う力。同じ形でなくても、続いていく持続力というようなもの。(『森崎和江詩集』思潮社 インタビューより)
■詩ひとつ。森崎さんの。まるで遺言のような。
「祈り」
会いに行かせてね
風になって
きっとだよ
歌ってるからね
骨も
約束します
会いに行かせてね
海をこえて
指切りします
歌っていてね
泣いていても
みえなくってもよ
会いに行かせてね
歌ってるからね
ゆりかごの……
■そして、この詩句
「シンボルとしての対話を拒絶する」より
(未完のはじまりの歌としてこれを聴く)
女の声
アナーキーな氾濫がわたしをかむ
欠如があすの詩をささやく
あなたのモノローグを裂くときに
男の声
おわっていくぼくの詩
今日の文明のおしゃべりな部分
不具なカルテルの旗よ