森崎和江
新しい世界にようこそ 人知れず無数の獣が大地を蹴って躍るとき、ひそかに世界が変わるということを、あなたは知ってる? この世の涯の密林の奥で、ほかの誰に知られることなく、この世が災厄にのまれぬよう、かがり火焚いて夜を徹して輪になって踊る歌の祭…
北上駅構内に鬼剣舞の人形 駅前には鬼剣舞銅像 朝の北上川 宿の窓から 鬼柳鬼剣舞を観に、鬼柳六軒集落へ。 集落の入口の碑石群 庚申塔 馬頭観音 南無阿弥陀仏 永陽大師? 慧燈大師 見真大師 剣舞稽古場 準備中の舞い手たち これから彼らは鬼になる 岩崎鬼剣…
11月16日から始まった森崎和江の旅をたどりなおす旅。 今回の旅の出発点は宗像・鐘崎であったけれど、 本当の出発点は、朝鮮なのである。 そのことを胸に刻みつつ、森崎さんの詩集「地球の祈り」を再読する。 むかしのその詩集(『かりうどの朝』)のあとが…
三内丸山 たくさんの縄文の人に会いました。 縄文土器 こんなに沢山 もっともっと沢山あったはず これを使って暮らしていた沢山の人びとがいたんだな 千年以上もの間、 さて、人は、この千年のあと、なぜに国家などというものを考えだしたんでしょうね。 一…
津軽 藤崎 荒磯崎神社。 ここは、『東日流外(つがるそと)三郡誌』に登場する、大和朝廷に抗したアラハバキ族の神が祀られていたと言われる。 中央に権力によって消されたアラハバキ神の社。津軽には他にも多数あるとされる。 ただし、『東日流外(つがるそ…
熊野山 神明社の在る場所が、熊野山。 『大日本地名辞書』補【熊野山】遠敷郡○郡県志、後瀬の連峰にして而して西南に在り、山腹に熊野十二権現の社あり、其中間の役の小角の像を安ず、今の山伏なるもの小角の末徒なり、故に国中の山伏之を尊崇す、凡そ国中の…
◆組織化されなかった無産階級婦人の抵抗は、ひとりひとりのおばあさんのなかでは消えておりません。けれども抵抗集団そのものは挫折しました。そしてそのあとにつづくものは何も本質的に生まれてはおりません。一度の挫折も経験したことのない日本的母性は、…
渚への「寄り物」としての火いかの話をする女がいる。 この鐘崎の浜はいろんなものが流れてくる所たい。と語る老人がいる。 鐘崎を、いのちの語りを求めて彷徨い歩く森崎和江は、人魚の肉を食べて、あるいは貝の肉を食べて、不老不死となった八百比丘尼のこ…
ひきつづき『原生林に風がふく』 数多くの森崎和江の文章で、くりかえし記される森崎和江の旅のはじまりにまつわる述懐。 朝鮮体験の重さと弟の自死は、私を賢治以前の魂の日本へと、突き放ちました。 私には、言葉以前の、伝承力を感じさせるしぐさについて…
『原生林に風が吹く』簾内敬司×森崎和江 ◆旅のはじまり 道案内人は簾内敬司 木に会いたい、その旅へと急ぐ、森崎和江がいる。 「なぜ、東北は、山を恋うのだろう」 私が今会いたい木は、それら私や私の親世代たちが踏みわたった近代の影などにおびえることな…
『対話 魂ッコの旅 森崎和江 野添憲治』より ◆北へと向かう心 どうして北に行きたいということになるのかなというとね、私、「辺境」という言葉が嫌いなんです。だってどの地方にも固有の生活史はあるんですもの。それぞれの地域にくらしの遺産は深く残って…
7月22日 午前9時 新郷村から大間に車で向かう平葭さんが、 下北を通るときに私をピックアップしてくれることに。「せっかくだから、ヒバの林の道のほうを通って行きましょうね。 恐山もかすめて行きましょうかね」 ということで、恐山をかすめて、薬研温泉の…
2023年9月22日、23日に大間で開催される大MAGROCKに参加しようと、 その1週間ほど前に慌てて行程を組んだ。 大MAGROCKが、百年芸能祭に参加したいと言っていると、北からの風が教えてくれたから。 これは行かねばなるまいと、本州最北端めざして旅に出た。 …
初めて森崎さんと出会ったのは2000年代の初め、私が旧ソ連に生きる高麗人を訪ねて中央アジアへと向かった頃のことです。高麗人とは、朝鮮半島からロシア極東へと流れゆき、さらにスターリンによって中央アジアへと追放された人々。植民地と戦争と無数の死で…
わたしの感覚の創造主である朝鮮の群衆と山河がほうふつと浮かぶ。わたしの心が激しく首をふる。あれをほろぼしてはならぬ、という。あれをにほんで使え、という。 どこで使うね…… 朝鮮は岩なのだ。 室井腎(谷川雁)とその地元から来た青年たちの水俣方言の…
即自的な私はコスモポリティクな流亡の徒であって、定着する日本の共同体意識のどのランクにも入りこめない。強いていえば遊芸売笑の賤しさで民衆のエキスを伝播して歩く遊行女婦(うかれめ)グループの心情を伝承している。 大海にほうりすてられ、青天にあ…
女の人は、というか、わたし自身が女ですから、女の意識とか感性とかの中には、書き言葉によって自分を認識するということよりも、話し言葉によって自分や世の中を感じ取ったあとが残っています。またひとりひとりの女は、わたしが自分のからだの変化を想像…
私は政治的に朝鮮を侵略したのではなく、より深く侵していた。朝鮮人に愛情を持ち、その歴史の跡をたのしみ、その心情にもたれかかりつつ、幼い詩を書いて来たのである。 自然界といのちとのシンフォニーへの愛をはぐくんでくれたのが「日帝時代」の大地であ…
森崎和江つながりで、あらためて簾内敬司をじっくりと読んで、茫然としている。 この人の、深々と東北の風土に根差した、この恐るべき声を、どうして今まで聞き取ることができなかったのだろうかと、自分の小さな耳にがっくりとする。 小説『千年の夜』に寄…
なぜ「中動態」の本を読むのかと言えば、 「私」という「一人称」を森崎和江の問いがずっと、私の胸の奥深いところに刺さっているから。 妊娠出産をとおして思想的辺境を生きました。何よりもまず、一人称の不完全さと独善に苦しみました。(中略) ことばと…
◆「ナヨロの海へ」 私は日本人のまねをしている日本人ではなかろうか ◆「悲しさのままに」 かつての日本の植民地で生まれ育ったものですから、自分を生き直したくて、くりかえし日本とは何だろう。わたしとは、いのちとは、と自問しながら彷徨するのは、やむ…
これは、森崎さんにとっての『あやとりの記』なのであり、『苦海浄土』なのだと思った。 失われた「はは(オモニ)のくに」の記録。痛切。哀切。 ◆唄の記憶、ひとつ。 先に行くのはどろぼうだよその次はヤンバンサラムあとから行くのはシャンヌム いつごろ生…
これは松本健一への公開書簡。 こんな手紙を送られた松本健一は鳥肌が立つほど震えただろうなぁ、と思う。 いきなりこんな言葉が書きつけられる。 私は、もの書きになってしまいましたが、書きことばによる表現ぬきに生きることができなかったからで、もの書…
これはすごいエッセイだと思う。 冒頭に森崎和江の見つづけてきたこの世の風景が語られる。 まるで大きな肉体のように関連としていた社会が崩れ、ひとりひとりの人間たちが、名づけようもないほどとりとめのない個体となるさまを、私はこれまで二度、みて来…
妣(はは) 桃太郎 風車が赫いね 西のそらに いちめんにまわっているよ みえないのかい そうかい 血の海さ 遊女 つばを吐いて とび散ったほうへ歩く 風がないね 虫 たとえば紫宸殿の 即位の秘儀 その観念をかぜにさらし水にさらし つみくさの丘にすわる たと…
森崎和江の身体感覚と言葉への感性。あまりにも鋭敏な感覚。 森崎和江の世界は言葉にならない欠如に満ちている。その欠如を生き抜いていくには、言葉が必要、思想が必要、切実に必要。 それは、はじまりの言葉であり、はじまりの思想になるほかはない。 ある…
人は、人のままに言葉を持つ権利がある。 by森崎和江
「非政治的基底からの共闘」(70年9月『現代の眼』所収) 閉山した筑豊の炭坑の元坑夫たちが流浪の労働者として流れ込んでいった北九州・八幡製鉄所での労働組合運動をめぐって、 北九州を拠点とする「沖縄を考える会」の活動をめぐって、 「考える会」が打…
北に向かうのは、そこが荒蝦夷の地だから。と言ってしまうとあまりにざっくりしすぎか。 近代国家がそのよりどころとした建国神話において、きれいに封じ込められた「いのち」の原風景をそこに見たからと言うべきか。 北に向かう旅は、森崎和江の長きにわた…
牛頭天王に宿を貸すことを断ったために滅ぼされる蘇民古端は釈迦の弟子で、 古端の家を襲った牛頭天王と釈迦の間で問答が繰り広げられる。 そして―――― その時釈迦仏聞こし召し、 「いかなる魔王・鬼神にてましますぞ。 仏の御弟子まで悩ます事不審なり」と宣…