抜き書き その2

第3章 十人の敵でも与えられないほどの害

 

サバイバーの性差による経験の質の問題。

ナチズムとポルノグラフィ産業の共犯性

――ヒトラーの「反ユダヤ主義」が誇大に宣伝した「ユダヤ人の性欲」

――イスラエルにおいてさえ「ポルノグラフィ」が一個の産業と化している現実

   (強姦、DVの多発。その大半が、ユダヤ人大虐殺を題材にしている。

男性中心主義世界における性の問題、とりわけ女「性」の。

 

 

つまり、ユダヤ男たちの自慰の楽しみのために、ユダヤ女を大虐殺の犠牲者として性的刺激物にしたてているのである。(アンドレア・ドウォーキン『女たちの生と死』1998

 

I・B・シンガー『敵たち、ある愛の物語』(1966)

ジョージ・スタイナー『言語と沈黙』1068 そのなかのエッセイ「夜の言葉」

アンドレア・ドウォーキン『ポルノグラフィ』1981

 

(ジョージ・スタイナーは「夜の言葉」1968に)「その登場人物に、衣装を脱げ、密通せよ、これこれの性的倒錯を行なえとどなりつける」ような小説を読むと、「あのナチの親衛隊の監視員も生身の女や男の行列に対して同じような態度をとった」ことを思い出さずにはいられないと書いている。

 

「性的生活の規格化は全体主義的な政策に付随して起こってくる」のであり、それは「偶然ではない」(「夜の言葉」)

 

「(ヒトラーによって)男女のユダヤ人は共に、性欲面では獣だとして特徴づけられた(中略)穢れないアーリア人女性がユダヤ男に強姦されないようにするために、また、アーリア人精子が淫乱なユダヤ女に誘惑されて、合いの子を産むことに誤ってつかわれないようにするため、性的な獣は服従させねばならない」

 

「(ヒトラー反ユダヤ主義思想の文法がそのまま男性中心主義的な世界のなかにも生きていて、男の)力を正当化し、そしてそれを不可視化する性的イデオロギーは、女は形而上的な犠牲者であるという理由をもって(中略)すべての女に適用される」(アンドレア・ドウォーキン

 

 

第4章 抵抗するために生き、生きるために抵抗する

 

何が抵抗なのか? という問題。

 

「私たちの収容所生活のすべては「抵抗」ということばであらわすことができた。」

「物を食べて体を弱らせないこと――これもひとつの抵抗である。私たちは抵抗するために生き、生きるために抵抗した」 (オルガ・レンギェル『向こう側の思い出』1946)

 

「彼女は、収容所内での「抵抗」なるもののあり方を可能なかぎり幅広く描き出そうとするのである。」 西成彦

 

贅沢品の隠し持つことも「小さな抵抗」

 

そこが収容所のなかではないかのようにして時間を過ごす。

 

強制収容所における幸せ」なるものは、瀬戸際に追いつめられた囚人たちにとって最後の生命線であり、それもまた「抵抗」のひとつだった。

 

少なくとも「囚人間の人間的な関係」を死守しようとしたことを女性サバイバーはことさらに描こうとした。

 

そして、プリーモ・レーヴィ

「回教徒(ムーゼルマン)、あるいは「人間の尊厳」をめぐって。

どんな環境にあっても人間の尊厳を失うまいとする、そういう意味での「思想体系」において、尊厳を失った存在とされる「回教徒」は「人間以下」である。が、レーヴィはそれもまら「抵抗」として捉える。「武装蜂起」と同様に。

 

ただ、「武装蜂起」と「回教徒」の間に、女性サバイバーが描いたような「小さな抵抗」がありえたことが、レーヴィにはみえていなかった。  西成彦

 

男たちの間には、女性たちの「シスターフッド」のような、「ブラザーフッド」が成立しにくいのか。あっても盟友関係にとどまるのか。  西成彦の問い。

 

「小さな抵抗」は、「小さな共同体」があってこそのものなのだということ。

これが大事。

 

第5章 見られるものなら見てみるがいい

 

「ドイツ兵は、死体のことを、“フィグーレン”」と「呼べと[彼らに]強制した」

そもそも(SHOAHの証言者の)ザイドルが「フィグーレン」の説明に用いたヘブライ語は『人形たちの家』における「人形」と同じ「ブバー」だった。

 

※『人形たちの家』 建国後間もないイスラエルで、国語ヘブライ語で書かれたホロコースト小説。ナチスの「慰安所制度」という暴力装置に巻き込まれたユダヤ人少女の物語。

 

小説『人形の家』のなかで強制収容所の「性奴隷」がことさら「人形」の名で呼ばれなければならなかったのは、収容所のドイツ人が常用していた隠語をなぞるためだけではなかった

「人間」から「人権」や「尊厳」や「人格」をはぎとって、たんなる「人形」に変えてしまう巨大な装置であったことを明らかにするためになされたことだった。

 

それは言うなれば「ホロコースト」自体がみずからを象徴する概念として産みだした自己言及的な言語使用の一例なのである。  ←ここ大事。

 

 

第6章 女はゲットーと関係を結んで

 

ゲットーに存在した「すきま」(=たとえば、私的関係を取り結ぶ、親密な空間としての)を文学はどう描くか、という問題。

 

かならずしも「被害体験」とは定義しづらい不透明な経験、いうなれば過去の「すきま」のようなものを可視化し、その記憶を「自己救済」や「他者の免罪」にすりかえないための手段として、文学があるということ。

 

ワルシャワ・ゲットー:時間の経過とともに「絶滅収容所」へ移送される前の「家畜置場」となり、1943年春のゲットー蜂起にあたっては文字どおり「最終決戦」の場となり、「飢えと疫病」のために住人がいつ死んでもおかしくはない「処刑場」と化していた。

 

しかし、それだけではない。

ゲットーは「繁殖地」でもあった。

アウシュビッツですら申し訳程度の「治外法権」、なけなしの「私生活」が成立し、そうした「すきま」を利用して囚人たちの「抵抗」が展開されていた。その意味では「ユダヤ人地区」の場合がなおさらそうだった。 西成彦

 

ワルシャワ・ゲットーには「浜辺」ととして知られる日光浴スペースがあった。

そこは、「楽天家たちのたんなる歓楽場などではなかった。それこそゲットーで生きることの不安や恐怖をひととひとが共有しあい、しかもそれが親密な裸のつきあいと地続きになっている、そのような場所だった。」

 

このようなワルシャワ・ゲットーの午後をなんらかの「救い」としてではなく、まさに「圧制」を敷く側が塞ぐ気になればいつでも塞げたはずなのに塞ごうとしないで済ませた「すきま」として、あるがまま、いや、ありえたがままに描くこと。