森崎和江『まっくら』メモ

出発点。

 

<はじめに>より

 

私には、それとも女たちは、なぜもこうも一切合財が、髪かざりほどの意味も持たないのでしょう。

 

愛もことばも時間も労働も、あまりに淡々しく、遠すぎるではありませんか。なにもかもがレディ・メイドでふわふわした軽さがどこまでもつづいているので、まるで生きながら死人のくにへ追われているようです。

 

女たちの内発性とまっこうから拮抗しないニッポン! 武士道! もののあわれ! 近代! そこにあるもろもろの価値に火が噴くような憎しみを感じた敗戦前後、あかんべえと舌を出すことを覚えました。心の底から日本という質をさげすんでいる自分の火を守りました。それはまるで民族的な訣別へ私を追うような強さで、私の歩みを押しました。

 

私は何かをいっしょうけんめいに探していたのです。そんな私が坑内労働を経験した老女をたずねあるきましたのは、日本の土のうえで奇型な虫のように生きている私を、最終的に焼きほろぼすものがほしかったためでした。老女たちは薄羽かげろうのような私を

はじきとばして、目のまえにずしりと坐りました。その姿には階級と民族と女とが、虹のようにひらいていると私には思えました。

 

 

<あとがき>より

後山たちはもうのっぴきならない捨て身の構えで働き暮していました。それでも子を産みたい欲望をもち、自分を主張したい意地をもっていました。生活のぜんぶが、人間的なものの抹殺であるようなぎりぎりの場で、労働を土台として、その生を積極的に創造しようとしました。働くことを生活原理として、理念としはじめた後山たちには、どんずまりという感覚のうしろに、なにか「始点」というようなえたいのしれない感動がうずきはじめたのです。

「働かなうそばい」という採炭気質があふれてきて、しぼられてもしぼられても能動的に生きました。後山たちは家というわくのなかで消えていく労働を、「働く」という概念にふくませておりません。主として労働力の再生産部門を受けもっていた家族内制度の女たちの、そのモラルをふみにじっていく快感が、あんたんとした坑内労働にちりばめられました。その場で愛と労働を同時に生きようとしました。その共感と抵抗が、後山たちを一様に朗々とした女にさせています。

 

 

彼女らをとりまくもののすべて――炭鉱外の倫理も抗外の制度も――は、彼女らの生をはかる機能をもちません。

 

こうした後山たちひとりひとりの意識の成長なり、気質の誕生なりは、すべて資本主義発展途上のしかもそれに基本的に随順したヤマの歴史のなかで起ったのです。彼女たちの明るさは、自然発生的で、ここにはぐくまれた抵抗の集りにすぎないともいえます。が、その水中の火打石は、無論理で気分的ではありますけれども、全女性史的にみてみますとはっきりと一群の意識の誕生を語っています。

 

組織化されなかった無産階級婦人の抵抗は、ひとりひとりのおばあさんのなかでは消えておりません。けれども抵抗集団そのものは挫折しました。そしてそのあとにつづくものは何も本質的に生まれてはおりません。一度の挫折も経験したことのない日本的母性は、いまもなお女坑夫の意識を奇型としてまるでかえりみることもしないのです。

 

ここには内側からぱちっと割れているような、あふれんばかりのエロスと力がありました。

 

 

私は、済州島の海女たちを想った。

石垣島の今は亡きナミイおばあ、沖縄最後のお座敷芸者を想った。

森崎さんが歩いた北九州の海辺、鐘崎の海女たち、

そしてさらに、森崎さんが海沿いに訪ね歩いた産小屋、そして八百比丘尼を想った。

 

森崎和江の、エロスと力、エロスと闘いを、いまいちど考える。

森崎和江に孕まれた、女たちの内側からぱちっと割れて生まれいずる、命の思想をいまいちど考える。「産みの思想」をいまいちど考える。