1948年~1949年、ある朝鮮人の若者が、ソウルより日本へと、在日朝鮮人の友に宛てた手紙の中の言葉。

たくさん学べ。君はいま祖国の現実をどう見ているのか分からぬが、いま祖国は学徒を呼んでいる。われらは水を飲みたい。喉が渇いている。だが、われらの喉を潤してくれる者はひとりもいない。力を尽くして学べ。僕は、ただ、学ぶことのできない、学べない環境にあることが、これだけが悲しい。胸がずきずきと痛む。

 

 

今度の手紙にはイデオロギーについては一切書くな。涙ぐみながらこの手紙を書いている。こんなことまで……。

 

君が待っているから、待っていると言うから、僕はいつも力いっぱい君を信じる。信じることは幸福だからだ。

 

(彼は日本への密航を企てている、しかし、やがて祖国朝鮮にとどまって米国を後ろ盾にした正統性なき李承晩政権と闘うために密航計画を放棄する)

 

 

祖国が呼んでいる。君のような若い力を。それだけは忘れるな。

 

いつ来るのか? 一度戻ってこないのか。愛する者の腕のなかへ。故国は待っている。数限りなく、君のような情熱の青年を……。

 また書こう。では。

 

 

だが、ヤングンよ! 夢から覚めよ。祖国は僕のような者も、ひとり残らず呼んでいる。なのに、いま、どうして日本に行けるだろうか。これ以上は書くまい。推して知るべし。  昨年とは、一年前とは大きく変わったのだ。

 

祖国のことを考えてくれ。犬や猫の手を借りてでも建設をする時だ。いま、僕が、数多くの同志を置いて、どうしてひとりで行くことができようか。それは全民族に対する罪だ。昨年とは違うのだ。大韓民国……。 わが国を建設するのは、わが大韓の青年のほかはない。ともかく、行きたい心を抑制して、君にこのような手紙を書いている、いや書かずにおれぬ僕の心情と祖国を思ってくれ。

 

「無数の安寿、あるいは声のアナキズム」 @ 20190618立教大学「こっちあっちの人類学」(奥野克巳教授) ゲスト講義草稿

「無数の安寿、あるいは声のアナキズム

 

前置き1 私の国籍

 

昔、自分のことを在日・韓国人と思ってました。物心ついた時から、自分は韓国人であると。(日本国籍でも、北朝鮮籍でもないという意味で)

 

ところが、最近になって、韓国から取ってきてわが家の古い戸籍と、永住権についての証明書を突き合わせてみれば、私は、どうやら、1968年頃に韓国人になり、協定永住権を取ったらしい。

 

それ以前は、無国籍。

しかも、これは私にだけ起こった特別な出来事ではありません。

 

さかのぼれば、植民地時代はいやでも「日本国民」、戦後すぐ1947年からは、明治憲法下最後の天皇最後の勅令によって、「日本国籍を持つ外国人」とされ、「外国人」として管理の対象になるという、十分にご都合主義のくくられ方をしていたのが、

1952年、ついに、法務府民事局長通達によって、植民地朝鮮の出身者で内地の戸籍に入っていなかった者(朝鮮戸籍に入っていた者)は、一瞬にして、無国籍者になりました。

外国人登録証に記された「朝鮮」籍とは、つまり「無国」籍ということです。

 

これを植民地の民だけの問題と思っている向きも多いのですが、朝鮮人と結婚して、朝鮮戸籍に入っていた日本人女性も、このとき切り捨てられて無国籍になります。つまり国家が国民を仕分けする際、血とか人種とかは実のところそう重要ではない。日本人なら日本国に守られるというのは幻想です。

 

で、大事なのは、ここ。

1947年5月に新憲法施行直前の最後の勅令によって、日本国内の朝鮮人が「外国人」として管理されることになったとき、朝鮮にはまだ国家がなかった。そこには米軍とソ連軍によって管理されている「解放空間」が朝鮮半島にあったのみ。

 

そして、ハッと気づいたこと。

人間のほうが先で、国家があとからできたのだということ。

なのに、人間が国家を選ぶのではなく、国家が人間を選ぶんですね。

 あとからできた国家が国民の枠に人間を押しこめる。

 

「韓国」(1948年成立)に国民登録した者だけが、日本の永住権(協定永住)を与えられることになったのは、日韓基本条約が結ばれ、日韓の国交が成立した1965年のことです。これは、無国籍朝鮮人に、ほとんど、政治的経済的に「韓国籍」を強いるような形で働きます。

 

それを強いたのは、米国という傘です。極東で日本と韓国をおおって(のみこんで)、戦争ビジネスを繰り広げる、血なまぐさい「傘」です。これを「軍事的資本主義」ともいう。

 

「資本は、頭から爪先まで、毛穴という毛穴から血と汚物をしたたらせながら生まれてくるのである」(マルクス

 


もうひとつの気づき。 

国民とは、兵士である、労働者である、消費者である。国家とはそのような意味での国民を使い捨てる仕組みであり、最強の暴力装置を備えた企業であるということ。

 

生きとし生けるすべてのものにとって、この世界は、どこかの国家の国民でなければ、まことに生きがたい世界です、

どこかの国家の国民であっても、そう生きやすくはない世界でもあります、

世界が国家と国民と非=国民とで埋め尽くされたのは、たかだかここ百五十年ほどの間の出来事です、

この百五十年、せめて国民であるほかには生き延びる道がないかのように、

国民でなければ何をされても仕方がないかのように、

すべての理不尽は国家に従わないことから降りかかってくるかのように、

深く強くしつこく刷り込まれてきたこの息の詰まる時空間に、

いったいいつまで呪縛されていればいいんでしょうか、

まともな生き物はこんな息詰まる空間にいつまでもいてはいけないでしょう。  (『現代説経集』「狂っちまえよと影が言う」より)

 

 

韓国対日本とか、北朝鮮対日本とか、国家対国家ではない、民族対民族でもない。二項対立、二元論を越えて、この近代国家/理不尽な暴力的企業体から「逃走」すること。

異なる地平、異なる共同性へと身を移していくこと。

与えられた「解放空間」ではなく、みずから切り拓く「解放空間」に立つこと。

その手がかりを「声」に求めること。

 

これが、今の私の現在地。 ま、そういうわけで、

 

国籍?     くそくらえ!

ナショナルアイデンティティ?  くそくらえ!

 

 

さて、日本近代において、明治を境に、いったい何が起きたのか、

それを「声」に耳傾けて考えます。

 

前置き2

声が開く場/共同性について。 声の記憶と、文字の記憶はどう違うのか?

 

直線の時間と、円環の時間では、記憶のありよう、歴史のありようは当然に異なるはずである。

 

円環の時間のなかの「場」、そこに宿る物語を考えるとき、入会地の共同性を念頭に置いておく。(物語は誰のものなのか? という問いに接続)

 

ソングライン  円環する時間 くりかえし再生する物語  物語は場に宿る 

記憶は場に宿る ということをつらつらと。  この話はアニミズムへと接続する。

(この部分は簡単なメモ)

 

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        <時間にまつわるざっくりしたイメージ>

 

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近代と鴎外と「声」

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さて、本題

説経「山椒太夫」~ 森鴎外山椒大夫

鴎外による「声」殺し

 

説経のなかでひときわ有名なのが「山椒太夫」です、

 

近世までは誰もが知る「山椒太夫」でした、

今、「山椒太夫」の物語を知る人はわずかです、しかしそれはおそらく森鴎外版「山椒大夫」です。

 

明治の世1915年(大正4)に森鴎外が近代小説「山椒大夫」として書き直し、

昭和の戦後の時代、1954年に溝口健二がそれを映画化して、さらに1961年に東映動画が映画にする、おそらくそれゆえに、昭和の人間にはなじみの物語として生き残ったのでしょう。

 

しかし、説経「山椒太夫」は、鴎外の近代版「山椒大夫」とは天と地ほども違う。

 

まず、鴎外の安寿は入水自殺をするし、(それを鴎外は、読者は察せよとばかりに、ほのめかすだけです)、出世した厨子王は民主的な権力者となり、残虐な山椒大夫一族は改心して奴隷解放し、民主的な世が到来して、人々はみな幸せになる。

 

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安寿入水 溝口健二山椒大夫』一場面

 

 

 

しかし、まったく冗談じゃない、こんな風に、説経を啓蒙的な美談に書き換えてしまうなんて。

 

説経では、安寿が大変酷い殺され方をします。

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拷問される安寿  説経本挿絵より

 

出世した厨子王は、山椒太夫の首を竹ののこぎりで106回を挽かせて、落としてます。

「一引き引きては千僧供養、二引き引いては万僧供養」

と、掛け声をかけて引き落とす。

そして、安寿と厨子王を助けたお地蔵さんの霊験が語られる。

 

この物語が、遊行の徒の、旅する語りによって、各地には運ばれ、土地土地の風土のなかでさまざまに語りかえられてゆく。物語の主人公たちも、語り手とともに、さまざまに旅をする。さまざまな風土に生きる。

 

実に面白いもので、かつて「声」によって語られた物語というのは、同じ「山椒太夫」でも語る者の数だけ、聞く者の数だけ、語られた場の数だけあるものなのです。

 

たとえば、祭文語りがやってくる、どんなにいかがわしくとも、彼らの根っこには宗教がある、たとえば山岳宗教としての修験がその出発点にある、石にも草にも木にも水にも風にも神を感じて、歌いかけ、祈る、そのようなものとしての宗教、そういうものを根っこに持ちながらグルグルと旅をして、神社や寺の祭礼や村々を訪ねて物語を歌い語る。

 

で、とにかく、なにがすごいって、神になるんです。

 

道伝いに声から声へと伝えられてきた物語の中の、理不尽だらけの世界で、とことん虐げられた者たちが神になる。しかも、それは物語の世界を自在にはみだして、現実へと連なってゆく。もう虚も実もありません。

 

たとえば、佐渡で今も語られている「山椒太夫では、安寿は、説経で語られるように、京都の丹後由良で山椒太夫一家に責め殺されたのではなく、瀕死の体で逃げ出して、母を探して佐渡が島に渡ってきて死んだのだと、島には安寿を神と祀る安寿塚がある。 

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佐渡 鹿野浦の浜辺

 

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浜辺に立つ安寿塚

 

 

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佐渡 畑野  また別の物語を持つ安寿塚

 

津軽版山椒太夫とも言われる「お岩木様一代記」では、それを語り伝えた盲目のイタコの文字に頼らぬ言葉によるならば、生まれてすぐ三年間も無情の父に土に埋められたあんじゅが姫は、山椒太夫にもいたぶられて、苦難に次ぐ苦難の旅を重ねて、ついには岩木山の神になる。

神ねなるたて、これ位も苦しみを受けないば、神ねなるごと出来ないし、

と言いながら。

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岩木山神社  鳥居の奥に岩木山

 

さらには、上越高田の瞽女たちが歌いついだ「山椒太夫では、直江津から佐渡に向かう人買い舟に御台様と二人で乗せられた侍女の姥竹が、海に身を投げ、復讐の大蛇になります、大蛇の怒りで海は荒れ狂います。

 

侍女姥竹なんて瞽女唄のおおもとの説経でも、説経を近代文学化した鴎外版でも、まことに影の薄い存在です、あっという間にいたずらに死んでゆく、

ところが上越では、瞽女の歌声が絶えた今でも、大蛇うばたけは大明神として小さな石塔に祀られている、

 

 

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居多神社北参道入口 乳母嶽明神

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"旅する語り”の世界では、もっとも日の当たらない存在が、もっとも強烈な神になる。

  

 

瞽女唄のもととなったと推測される「説経祭文 宇和竹恨みの段」

  宇和竹入水から復讐まで>

youtu.be

 

これ、大事だから、もう一度言います。

 

「声」によって語られた物語というのは、語る者の数だけ、歌う者の数だけ、聞く者の数だけ、語られた場の数だけあるものなのです。

しかも、その場には神が宿るものなのです。そして、物語も記憶も「場」に宿る。

 

それは、たとえば、無数の場で語られる、無数の「山椒大夫」の、すべてが正しいという、著作権やらオリジナルという発想に馴染んだ近代人にとっては想像を絶した世界です。

  

つまり、「声」が呼び出す場/共同性というのは、ただひとつの真ん中、ただひとつの神、ただひとつの権力、ただひとつの正しさに、おのずと抗うものです。

 

それを私は「声のアナキズムと呼びます。

 

一方、近代国家は「声」を徹底的に管理する。あるいは、「声」を殺す、盗む、骨抜きにする。

 

 

さて、

そういえば、福島の広野町の、津波でやられて、原発事故にもさらされた海辺の土地にも、神となった姥竹が祀られていました。

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福島・広野 姥嶽蛇王神社

 

 

福島市内の弁天山安寿と厨子王一行の旅のはじまりの場所で、そこには線量計が据え付けられていました、彼らが歩いたという表示板が立つ山の細道にはフレコンバッグが積まれていました。

 

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福島県福島市渡利  弁天山

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信夫の細道


 

いたたまれない思いで、居場所もなく、なんだか自分が安寿になったような気持ちで福島を歩きながら、つくづくと思いました、

 

安寿と厨子王の一行は、福島から新潟・直江津へと向かい、そこで人買いにかどわかされる。それは、震災直後、原発が爆発して、福島から新潟へと避難した人々と同じ経路です。彼らは、「復興」と言う名の下で、今では「復興」の物語からはみ出す「声」をあげることを封じられている人々です。

 

たとえば、今のこの時代に、福島から旅立たざるをえなくなった無数の安寿たち、福島に生きる無数の安寿たちもまた、かつての安寿たちのように、あるいは姥竹たちのように、ひとりの神として、声から声へ、その縁起の物語が語り伝えられることはあるのだろうか、いったい、原子の光に満ちたこの近代世界で、光に眩んだ目には映らぬ小さき者、かよわき者、病める者、路傍の者、異邦の者、まつろわぬ者、虐げられし者たちが、神であったことなどあっただろうか…

 

いえ、もちろん民草がこれ見よがしに神に祭り上げられることもありますよ、軍神とか護国の神とか、でも、それはさまよう安寿たちとは無縁の話。近代は唯一の正しき神を求める世界ですから、ひとりひとりの人が生きるその場所を勝手に中心にしてはならない世界ですから、歌う者が歌の主、語る者が声の主、生きる者が命の主の、命の数だけ神がいる世界を純朴な人々の昔話にとどめておきたいのが、光り輝く近代ですから。

 

だからこそ、あらためて、力を込めて言います。

 

さあ、声のほうへ、語りのほうへ

 

人々の無数の声とともに、無数の場を開く語りとともに、無数の中心が生まれでる、つまりは、どこにも中心などない世界が立ち現われる、それは、中心を共有しないモノたちの、ひとりひとり、ひとつひとつが神であるような、正しい記憶など共有しなくても、光に眩んだ目には見えない何かを分かち合っているような、そんなアナーキーな世界であるでしょう。

 

 

夢みたいな話ですよね、でも、声はきっと夢を語りだして、語りは夢を現実につなげてゆく。それを私は「来たるべき文学」と呼ぶ。

 

そのような文学の一つとして、私は『苦海浄土』のなかの石牟礼道子のこの声を思い出します。

 

水俣病は)独占資本主義のあくなき搾取のひとつの形態といえば、こと足りてしまうかも知れぬが、私の故郷に今だに立ち迷っている死霊や生霊の言葉を階級の言語と心得ている私は、私のアニミズムとプレアニミズムを調合して、近代の呪術師とならねばならぬ。

 

 

これもまた、まぎれもないアナキズム宣言です。まさしく「声のアナキズム」です。

なにより、近代を経験したアニミズムアナキズムへと転生していく、ひとつの証です。

 

 

 最後に一言 

 

最後に、でも、私は私の「声のアナキズム」に、ひとつ、深々と釘を差し込んでおかねばなりません。

 

声をあげる、そこに中心を呼び出す、というその行為自体が、権力を呼び出すものでもあるということ。それに無自覚な声は、きっとアナキズムを内側から掘り崩してしまうであろうと。

 

 

大事なこと  メモ

入会地/共同性/コモンズ/ともに実践する

 

入会地(コモンズ)の囲い込み としての近代資本主義

 

入会地を失い、命を落としていった死者たちをふたたび、新たな入会地に呼びだすということ。

 

芸能。

 

「さあ、全歴史の死者であるわたしたちがここにいて再び死にかけている、しかし、今度は生きることを目的として……」(サパティスタ住民運動 マルコス副司令官)

 

土に還る /  早川ユミ『野生のおくりもの』を読みだした。

奈良に来ています。

あとひと月ほどで、奈良に完全に移住です。

 

ひとり本読む夜、

早川ユミさんが14歳のときに、ある陶芸作品に出会って、一瞬にして「土に還る」ということばがからだにすっぽり入ってきて、人生の根っこのひとつになったという経験をしたということを読みつつ、

わたしもまた、その「土に還る」ということばに心を震わせつつ、

しかし、どうやって土に還ればいいのやら、

自分の歳を考えて、

都市しか知らない根無しの人生を振り返って、

途方に暮れる夜なのでありました。

 

いやいや、まだまだ、これから。

 

 

 

 

きのう、国立のギャラリービブリオで朗読したことば。水が流れるように。

タブラに捧ぐ  201968日@国立・ギャラリービブリオ

 ~『太陽と月とタブラの申し子、ディネーシュ・チャンドラ・ディヨンディを唄う狂犬が吠えると』に寄せて~

 

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はじまりは、狂犬の、愛してるよ! といういかがわしい呼び声だったのでした、

わたしは愛を知らない妄犬で、

知らないことにはこわごわ近づく愚かな犬でもありましたので、

気づいたときには、どうやら狂犬の思う「ツボ」であったようなのです、

 

その「ツボ」というのは、運命の落とし穴でもあるけれど、ディネーシュのタブラのことでもあるのですよ、

 

このタブラはなによりもおそろしいツボ、

だってそれはこの世をめぐって流れる大いなる命の水の源なのですから、

 

ディネーシュがタブラを叩くでしょう、撫でるでしょう、

そしたらこんこんと水が湧き出て、

気がつけば、狂犬も妄犬も誰もかれもが、深い泉の中でゆらりゆらりと揺れて浄められて、

生まれたばかりの裸の一匹の子犬たちのような心持になって、

うわーん、ゆわーん、と歌いだしてしまうような、

そういう空恐ろしいことが起きるわけです、

 

妄犬が妄想するに、かつてすさんで暴れる文字どおりの狂犬だった一匹の犬が、

初めてタブラの主のディネーシュと街ですれちがったとき、

狂犬はきっと、「この水をのみなさい」という声をわれ知らず聴いたはずなのです、

そのとき狂犬は渇ききっていたはずなのです、

 

渇きは厄介です、

 

愛欲を呼ぶこともある、

邪悪な力を呼び込むこともある、

しかし、幸いなるかな、

狂犬がすれちがったのはタブラから湧きいずる浄らの水でした、

 

美しい水の雫が、狂犬の心にポタンと落ちて、スー―――ッとしみこんでいった、

渇いて固まって閉じていた心の栓がポーーー―ンと解き放たれて、

きっとそのときからなんだよね、狂犬がそれはもう狂ったように歌いだしたのは、

 

歌はもう1000年も前から狂犬の心の底で疼いていたものだから、

おおいに歓び、涙を流し、潤んだ水となってこの世へとほとばしり出て、

 

愛しているよー、愛しているよー、

と無垢な子犬のように叫ぶんです、

 

渇いているやつはいないかー、淋しい子はいないかー、

と柔らかな水の声で呼びかけるんです、

 

つまり、ディネーシュのタブラから湧きいずる水と、狂犬の心の底の秘められたる水が出会ったときに、こんな超常現象も起きたわけで、

 

一方、妄犬は、ディネーシュのタブラのあの流れる水音の響きを思い出すたび、

いのちの水の泉でゆらゆらと、生まれる前の夢を見ているような心持になるのです、

 

ねえ、知ってる? 

タブラが教えてくれたんだけどさ、

心は光より速いんだって、

愛もきっと光より速いんだよ、

あんまり速すぎるから、わからなくなっちゃうんだよ、

心のことも、愛についてもね、

だからね、

あんまり速すぎて渇いてしまう私たちの心や愛には、

水が必要なの、

こんこんと湧きいずる、

生まれたばかりの、

最初の太陽の光を浴びたばかりの、

浄らかな水が必要なのよ、

それさえわかれば、きっと間違えない、

きちんと狂って、

豊かに妄想する、

立派な犬ですよ、

わたしたちは、

 

狂犬が言うことにはね、

よい犬と言われるひとは、「ひと」の成分が少なくて、

悪い犬と言われるひとは、「ひと」の成分が半分以上でできているんだそうです、

 

それはきっと正しい、

犬というのはね、心の底から信じることを知るもののことだからね、

 

ねえ、みんな、はやく犬になっちまえよ、

そして、ほら、ディネーシュのあのタブラの水をのんで、

うれしくなって、うわんうわんと歌ってくれよ、

 

 

歌が心の底から湧いてきたなら、そうして歌と歌とを交わし合ったなら、

そのときこそ、きっと、みんな愛がわかるんだよ、

と、妄犬はいまではそう信じているのだけど、

 

もしかしたら、ディネーシュのタブラにたぶらかされているのかしら、

いいのよ、たぶらかされても、水を得た命は歓びだから。

 

ディネーシュのタブラからこんこんと水の湧く、

 

「ひとと あなたと うたに なりましょう」

 

 

 ディネーシュと狂犬

 

李良枝「石の聲」 メモ

この小説が未完なのは、惜しい。

初めて距離感を持って読める李良枝の小説。

愛着はここに至って、消えた。

 

 

主人公は、在日韓国人、留学生、ソウルのタルトンネで、自分自身への手向けの詩としての、未完の「ルサンチマンX氏」を書いている。

漠然とした言い方になってしまうが、それがたとえ自分の血の問題につながることがらであっても、すでに価値や意味が定められ、すでに是とされ、多くの人が承認する感情や認識というものに、疑いを覚えずにはいられなかったのだ

 

民族という言葉や、民族をめぐってのさまざまな言葉たちも、すでに与えられた意味や価値から言葉たちを、解放してやらなければいけないような気がする。

 でなければ、私たちは作られた一つの価値としての人間、その自ら作りだしてきた価値や意味の呪縛の流れから抜け出ることはできない。「在日韓国人」であるからこそ、そう思う。

 

 

お前みたいなナルシストがいるから、世界はいつもこんなに愚かなんだ。絶えず神話を作り出し、絶えず何らかの偶像を作っている。神話や偶像を否定しても、今度は否定する神話に酔い始める。意味に倚りかかってばかりいて、その上なにしろ意味にかかわる自分を信じている。お手上げだよ。呆れて口もきけない。

 

 

音の根と、言葉の根が、混じり合う時に出合いたい……。生の根に行き着く行程が、今のこの瞬間に隠されているのなら教えてほしい。

 

 

どんな文字も、芸術も、人間の肉声や踊りには負けます。 

 

※在日文学は、在日であることからの解放をめざす。

 それはみずからを規定し呪縛する日本語をもっておこなわれる内なる革命のようなものか。

 

李良枝「由熙」 メモ

――学校でも、町でも、みんなが話している韓国語が、私には催涙弾と同じように聞こえてならない。からくて、苦くて、昂っていて、聞いているだけで息苦しい。 

 

우리나라 (母国)って書けない。(中略)私は書いたわ。誰に、とはっきりわからないけれど、誰かに媚びているような感じを覚えながら、 우리나라 、と書いた。(中略)嘘つき、おべっか使いって、その誰かにいつ言われるかとびくびくしながら

 

笛は一番素朴で、正直な楽器だと思うって、由熙は言った。口を閉ざすからだって、口を閉ざすから声が音として現れる、とも言っていたわ。こいいう音を持って、こういう音に現れた声を、言葉にしてきたのがウリキョレ(我が民族)だと、ウリマルの響きはこの音の響きなんだと、由熙は言ったわ。 

 

 

저는 위선자입니다

저는 거짓말장이입니다 

 

※由熙という存在の不自然。

 人間関係の距離  

 

※語り手のオンニの不自然

 由熙への愛着

 

――ことばの杖。

――……。

――ことばの杖を、目醒めた瞬間に掴めるかどうか、試されているような気がする。

――……

――아なのか、それとも、あ、なのか。아であれば、 아、야、어、여、と続いていく杖を掴むの。でも、あ、であれば、あ、い、う、え、お、と続いていく杖。けれども、아、なのか、あ、なのか、すっきりとわかった日がない。ずっとそう。ますますわからなくなっていく。杖が、掴めない。 

 

※ことばの杖。 語りかける相手を持たない、行方のわからない、言葉の混乱。

 

※これは、在日と韓国人の間に生れた物語ではない。

  よりどころを持たぬ者たちの「共依存」「愛着」の物語。そこからどう抜け出す?

  言葉は、ここでは結び合うものではなく、断絶の象徴、痛みの形象。「杖」は「針」であるということ。

 

杖を奪われてしまったように、私は歩けず、階段の下で立ちすくんだ。由熙の二種類の文字が、細かな針となって目を刺し、眼球の奥までその鋭い針先がくいこんでくるようだった。

 次が続かなかった。

 아の余韻だけが喉に絡みつき、아に続く音が出てこなかった。

 音を捜し、音を声にしようとしている自分の喉が、うごめく針の束に突かれて燃え上がっていた。

 

 

※由熙が語らなかったこと。在日ー韓国人以前に、この物語は、かぎりなく、在日―日本人の間で繰り返されてきたものであり、今も繰り返されているものだということ。

「由熙」の背後には、語りえぬ物語が黒々と果てしない深さで横たわっている。

そんなこともわからずに、よくも能天気に芥川賞なんか出すね、日本の文壇は。針の言葉で書かれたこの小説を読んで、目がつぶれないのかね。ある意味、既に目はつぶれているのかしらね。

 

※文字は、愛着を脱する杖にはならぬということ。