『パンデミック下の書店と教室』メモ

新自由主義、排外主義、過剰な民族主義、つまり右派ポピュリズムの広がりの中で、

「決して心地よいものではない共生」を考えるということ。

 

経済的に分断され、イデオロギー的に二極化していく世界の中で、かよわき者、声なき者、排除される側、差別される側から世界を見つめ返す、想像し、創造しなおすために。

 

コロナがあぶりだすのは、政治=経済=軍事を握る者たちあ(国家)が、どのような基準でこの世界を分断しているのか、どのような者たちが排除の対象なのかということ。

 

何が「不要不急」なのかを決める自由すら、われわれは既に奪われていたということ。

 

ところが、このコロナの世界では、国家など無力なのだということもあらわになったではないか。

 

(今日は私は2006年に公開された映画『ナミイと唄えば』にまつわる話を、オンラインでの映画上映後にしなければならないのだけど、いまのコロナの世界で、権力が真っ先に不要不急のものとしてつぶしにかかってくるのが、ナミイおばあのような地を這い、旅を生きる芸能者たちなのだということを想う。

名もなき芸能者たちが開く歌と語りの「場」が潰されようとしている今を想う。

命の循環ではなく、大きなお金の循環だけと結びついたものだけが、急を要するものとされている今を想う。

唄う者が唄の主となり、踊る者が降ろいの主となり、その場に集う者それぞれが場の主となり、つまりは命の主となる、誰のものでもないわが命の発露を、自分ならぬ者たちに規定されない、網野善彦流に言えならば、「無縁の場」が潰されてゆく今を想う。

それは明治国家の出現以来、つねに国家の意思によって企まれてきたことでもある。

国家意思とは別のところで息づく命の場、命の風景、それを私たちはけっして手放してならないのではないか。)

 

 

国民があたかも獣のように導かれてただ隷属することしか知らない国家は、国家というよりは荒野と呼ばれてしかるべき (スピノザ『国家論』より)

 

この項、つづく。

 

 

 

 

『女たちの同時代 北米黒人女性作家選② 獅子よ藁を食め』 メモ

森崎和江 解説を読む。

1981年11月初版の本だから、森崎さんもこの解説文をおよそ40年前に書いている。

1927年生まれの森崎さんが、54歳のときの文章。

 

日本人であるわたしたちには、ほんとうのところ、アベバもアンジェラも聴きとれないのかもしれない。それはひょっとしたらわたしたちの対極にあるのかもしれないから。列島の中で自足し、その中で祖先の遺風を愛しつつ生き、あなたのおくにはどちらですか、と確かめてはうなずき、根づくことを生活の中心価値としている日本では。

 

植民地に生まれ、植民地に育まれた、外地育ちの少女だった森崎さんの日本内地に身を置くようになってからの、変わらぬ問いがここにある。

 

森崎和江が読む「アベバとアンジェラの世界」とは――

 

男と女といて、子をつくることをきらめく太陽とともに愛していた大地から、男も女もばらばらに引きちぎられ、形而上界ともどもに根こそぎにされた。歳月は個体にも、あたしらの連中の中にも、積み重なることなく吹き消えつづけ、消されつづけ、ようやくピーナッツしか育たぬ砂地で、観念でしかなかった歳月を溜めはじめる。その砂地に心を寄せ、遥かなアフリカの花を心にかざし、旅へ出て砂もないビルの谷間で消えていく月日を数える。が、ここに……

そう書きつつ、 

「このような側面しかわたしたちはみないかもしれない。」

と森崎さんは日本に眼差しを転じる。

 

そしてその生態を、日本では根なし草という。信じられない人間といういみである。たとえその発端が何であれ、信用を得たいならば、根づくように努めよという。何に根付くのかといえば、根づくことが最高の美徳である生態の中に、である

 

しかし、いま、この世界でわたしたちの置かれている状況を直視するならば、人類全体が「根なし草」なのではないか。 そのことを確かにこの解説文で森崎さんは語っている。

 

未来へむけて、核兵器をもつ地球の支柱となるものは、兵器による自衛ではなく、科学の発展でもなく、ハブルシャムかあさんの体温のような人間性の世界的規模に於ける確立しかない。が、それへの道程は、単純ではなく、単一な方法論では手はつけられない。はっきりしていることは、きのうまでに体験した手段のすべては、その使命は終わっているということである。そしてまた人間たちは、それぞれが踏んできたきのうまでの歴史を土台にすることなく、明日という文明の扉は引きあけられない。

 

 ハブルシャムかあさんとは、主人公のアベバ(アフリカの花という意の名)を実母に代わって生後すぐから7歳まで育てた産婆の老婆。

「いうまでもなく頭をくっつけて睡る二人の人間は同じ夢を見るものだと人々はいう。アベバは産婆と睡ったのだ。老婆が見る夢を見たのだ。年寄りたちの秘密をいくらか知っているのも不思議はない」

アベバと産婆の ハブルシャムかあさんの見えない糸で結ばれた関係。近代の論理をはるかに超えた命と命のつながり。

 

そして、2020年代のいま、私たちが行き止まりの中で考えていることを、80年代に既に森崎さんはこのように語っている。

 

いっせいスタートに立って歩き出す鳥のように、晒されている同時代のわたしたちは、先達のいない時空へむけて歩かねばならない。真実、先輩がいないのである。たとえ心のくにへ回帰しひとときの呼吸をしようとも、その幾千年来の先祖たちの血と汗を抱きしめて浮上するほかにない。その中に、先人の生の確かな手ごたえのあることを自ら確かめて、自分自身に立つことを告げるほかにない。

厳しい。

そして、性の問題。これほど政治的経済的な領域もない。

(政治と経済は資本主義世界では一体のものだ。)

六十年代に入って三、四年たった頃、わたしは女たちの性ばかりでなく、人間にとっての性のみじめったらしい状態がいやで、次のように書いたことがある。今日のように人びとが人間について無頓着で、もっぱら者の生産に血道をあげていると、ろくなことはない。進歩的な人びとも資本主義生産の功罪ばかりに意識を片寄らせて、生命生産については神のおぼしめしなどと無分別地帯に放っている。このままなら、そのうち人間のいのちだって物質生産の論理にのっとられてしまう。そうして女たちも、ただ産むことだけの階層と、産ませてから子を所有するものとに分かれてしまうことだろう、と。

しかし、この文章に続く森崎さんのこの言葉は痛烈。

「たとえ爆発する火山のそばでも、あるいは命を賭けて逃亡する闇の中でも、しらみのように、ただ産むことだけをする人間たちである。」

 

この楽観主義の根底に、「種の存続への本能」を見つつ、それが人類を滅ぼすかもしれないことの危惧もまた、次のように呟かれる。

「たとえ世界大国が核兵器をぶっ放しても、誰かが生き残るさ、という現代神話の信仰は、アミーバ―よりも素朴な細胞の声かもしれぬ」

 

ともかくも、この現代を生きている。同時代のあなた、あなたの呼吸に耳を澄ませつつ、救いを求めるかの如く指先をそよがせ、生きている。感覚は一粒の砂にさえ愛がこもる。それほどにちいさいまま。

 

感覚は一粒の砂にさえ愛がこもる。それほどにちいさいまま。

それぞれに異なる生を生きる無数の一粒の砂のつぶやきなどを押しつぶしていくこの世界にあっては、一粒の砂への愛を語ること、それを実践することは、強く厳しく、だからこそ美しい。そして森崎和江解説に応答するかのように記された「北米黒人女性作家選」の編者藤本和子の言葉もまた美しくも厳しい。

 

 断ち切られ、打ち砕かれかに見えるふるさと、単なる「いなか」の自然以上のものであるふるさと、遥か三百年の年月と、過酷な大西洋航路の連行の旅を超えて連なるふるさとは、生き続けるようなのだ。傷跡を残しながらも、生きのびるようなのだ。

 アフリカの花の生涯には、そのような時空が凝縮されていた。作者はそのような母への鎮魂歌を書き記した。わたしたちの死んだ母たちに、わたしたちがうたう歌は何か?

 

四十年前に放たれた大切な問い。いまいちど。

 

「わたしたちの死んだ母たちに、わたしたちがうたう歌は何か?」

②それぞれに異なる生を生きる無数の一粒の砂のつぶやきなどを押しつぶしていくこの世界にあっては、一粒の砂への愛を語ること、それを実践することは、強く厳しく、だからこそ美しい。そして森崎和江解説に応答するかのように記された「北米黒人女性作家選」の編者藤本和子の言葉もまた美しくも厳しい
 
 
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姜信子
 
@kyo_nobuko
 
③「断ち切られ、打ち砕かれかに見えるふるさと、単なる「いなか」の自然以上のものであるふるさと、遥か三百年の年月と、過酷な大西洋航路の連行の旅を超えて連なるふるさとは、生き続けるようなのだ。傷跡を残しながらも、生きのびるようなのだ。」
 
 
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姜信子
 
@kyo_nobuko
 
④「アフリカの花の生涯には、そのような時空が凝縮されていた。作者はそのような母への鎮魂歌を書き記した。わたしたちの死んだ母たちに、わたしたちがうたう歌は何か?」(藤本和子) 四十年前に放たれた大切な問い。いまいちど。 「わたしたちの死んだ母たちに、わたしたちがうたう歌は何か?」

 

リンギス『何も共有していない者たちの共同体』  メモ

■「もう一つの共同体」より

 

共同体は、人が自分自身を裸の人間、困窮した人間、見捨てられた人間、死にゆく人間に曝すときに、形づくられる。人は、自分自身と自分の力を主張することによってではなく、力の浪費、すなわち犠牲にみずからを曝すことによって、共同体に参入するのである。共同体は、人が自分自身を他者に、自分の外に存在する力と能力に、死と死すべき運命の者に、曝けだす動きのなかで形づくられる。

 

※近代的合理的共同体の彼方、あるいは手前に存在する、もう一つの共同体。

 何も共有していない者たちの共同体。

 

■「世界のざわめき」より

 

情報を伝達する表現の動因としての私たちは、交換可能な存在である。しかし、私たちの唯一性と無限の識別可能性は、私たちの叫び、つぶやき、笑い、涙、つまり命の雑音のなかに見いだされ、耳にすることができるのである。

 

※ ノイズのある世界、かけがえのない命の世界

 

自然法則あるいは合理科学によってプログラムされ、全自動化された産業と事業に添えられた言語の多くは、さらには、つまらないことにたいして、がっかりすることにたいして、そして災厄にたいしてすらも添えられた言語の多くは、笑いを引き起こす以外の機能をもっていない。うめき声とうなり声に混ざりあった笑い声が、世界の騒音のなかに発せられる。私たちが抱擁しあうときに語ることの多くは、私たちのため息とすすり泣きを、雨と海に解放してやるために語るのである。

 

私たちが抱擁しあうときに語ることの多くは、私たちのため息とすすり泣きを、雨と海に解放してやるために語るのである。

 

■「対面する根源的なもの」より

 

語りの極限の状況とは、観察、行動のための原則、他者から他者へと授受される信念、こういったものの共通の蓄積、――これらはあらゆる共同体にある――が存在していないという状況である。

 

 ※ しかし、この極限の状況からしか、極限ののちの新たな世界を拓くことばはやってこない。

 

それは始まり、コミュニケーションの始まりなのである。

 

誰かが私の方を見るとき、その目は、彼または彼女が巡り歩く光の深みを広げるために、光のなかで輝いている別の光源を求めているのである。(中略)他者の視線は、私が見ている風景の表面と輪郭を見るために、私の目を見るのではない。その視線はまず、私の目のなかの光の活発さと輝きを求め、私の目が気づかいながら抱いている影と暗闇を求める。

 

他者の顔は、私の生の喜びが浸されている根源的な物の源泉を要求するために、根源的なものが現れる場なのである。

 

※「他者」と「私」を結びつけるものは、具体的な何かではなく、それぞれのうちの宿る世界の光と闇、他者のうちに宿る光と闇を受け取ることにより、その光でみずからの闇を照らすことにより、世界はまた新たな始まりを迎える。

 

  

他者は、触れること、そして付き添うことを、求めているのである。

 

 

■死の共同体

 

行動するとは、今ここに位置している存在を、新たな可能な位置に向けて投げ入れることである。行動することは、新たに始めることであり、すでに生じたものとの関係を断つことだ。それは、自分のなかに生じたものを、未来のなかに投げ入れることである。 

 

ずっと考え抜かれた思考は、もはや何も考えない、とメルロ・ポンティは述べた。思考は、みずからにとって完全に明瞭ではないときに、つまり未知の領域に進むときに、光明を発する。思考が最初に何かを照らしだしたときの感嘆は、その思考が一つの真理として定着したときには、再び新しく光を放つことはない。

 

人は、自分が自分であると確認される自分の手を見る。そして、自分の指にある、四十億の人間の右手の、どれ一つにも見いだせない数十本のしわを見る。人は、この自分が自分であることをと、この手だけが触ることのできるものに他者の手が触っていないことに、気づくのだ。(中略)自分の脳の、他にはない回路を組み込まれ、他の誰の脳もそのために組み込まれていないような、全世界の問題を待ちかまえている力、自分以外の肉体では、刻み、踊り、抱擁することができない方法で、偶像を刻み、踊り、抱擁するためにの神経回路と筋肉組織の力、他の誰もができないように、愛し、笑い、涙を流す。しかし、人は、こうした力が、それを待ち望んでいるものを見いだすことができる領域に自分自身をいまだ置いたことがなかったこと、そして、その領域は、日々の繰り返しが自分のために照らしだす仕事の地図の彼方に存在する、はるか遠く離れた砂漠のなかに、探し求めなければならないことに気づくのである。

 

※ 人々が交換可能な存在としてそこにある近代社会のなかで、つまり他者が存在しない社会において、交換不可能なかけがえのない存在としての「他者」を見いだすこと。交換不可能な存在としての自己を見いだすこと。

 

私は、別の人間が退いた場所に生まれ、他者が進んだ道を歩くように送り出されたのだ。私にとって、世界は最初から、他者が感受した可能性の場、他者のための可能性の場である。私が、私のための可能性をとして見いだすものは、他者が、私のために残してくれた可能性なのである。そこには、彼らが実現し、私以外の人でも実現できるような可能性のみならず、彼らが自分の力を実現しつつも現実化できなかった、彼らだけの可能性も含まれている。

 

 

瀬尾夏美「押入れは洞窟」 メモ

まず、一人の語り手がいる、この語り手が「場」を仕切っている。

 

「語り手」は、いつも押入れの中にいた「彼」と、「彼」が亡くなるまでの、「彼」の家族の来し方を、最初に語る。プロローグ。

 

「彼」は事故で障害を負い、亡くなるまでずっと、ほぼことばを失っている。

 

「語り手」は聞き手に問題提起をする。

実を言えば彼のことばは、彼が障害を得る前から、誰にも聞かれてはいなかった。(戦中戦後を生きた彼の話などは)当時はそんな話がありふれていて、誰も語りたくも聞きたくもなかった。だから、むしろ、彼は障害を得てから語っていたのかもしれない。優しい彼がそれを語るほど奔放になるには、ことばがことばでない世界が必要だったのではないか。

 

「語り手」は、そのことに気づいた者として、「彼」の孫娘を聞き手に紹介する。

孫娘は、東京の家を遠く離れた仙台で出会った「彼」と同世代の老人が、戦時の記憶を語るのを聴いたときに「彼」を思ったのだと。孫娘は、「彼」と同世代の老人の語りを経由することで「彼」の語られなかった記憶にたどりつく。

 

※「語り手」は、ここで、ひとりの人間の「記憶/物語」を受け取るために必要な「距離/時間/迂回」を示唆しているようだ。

 

第二の「語り手」として、「語り手」は孫娘を呼び出す。

 

孫娘は仙台の老人が戦時の記憶の中で口にした「ぼたもち」という言葉をつなぎ目に、老人の記憶と自身の記憶の網目のなかにある「ぼたもち」の物語の記憶を接続してゆく。

ある人から伝え聞いた、また別の老人の、ガダルカナルで夢の中でぼたもちを食べて生きのびた話。ぼたもちとは実は人肉だったのではないか、語るに語れぬ記憶だったのではないか、ありのまま記憶することが困難であった記憶なのではなかったのか、という疑惑/わからなさ。

シベリア抑留を経験した老人が苦しい日々の中で、なによりも欲した「ぼたもち」にまつわる「わからなさ」

 

その圧倒的なわからなさに、彼らとわたしの間にある越えがたい壁のようなものを認識したのです。

 

わたしが彼の語りをそのまま話すのは到底無理です。このわからなさは、わたしが祖父母に抱いていた怖れや、ガダルカナルから帰ってきたおじいさんがなぜ夢のような話を語ったのかということに、どこかでつながっているように思います。

 

他者によって語られる記憶の「わからなさ」。

これは、「孫娘/第二の語り手」からの、第二の問題提起。

そして、他者の語りを、ひとりの「聞き手」として、「わからなさ」を怖れとともに受け止めた時、孫娘はひとりの「語り手」となる。

 

孫娘は、老人のシベリア抑留の語りの中にある不自然な記憶の欠落から、記憶にまつわるある重要なことに気づかされる。

そのときわたしはふと思い立って、うちの祖父は南方の島に行った人だったけど、家族は何も知らないんです、と言いました。すると老人は足を止め、語らない人は後ろめたいことをしてきた人だ、と哀れむように答えました。

 

さらに、「孫娘/語り手」のもうひとつの気づき(あるいは予感)

彼らを語らせなかったのはわたしなのではないかと、ときどき思います。でも、もし、この道筋(孫娘が仙台の老人とともにその思い出を聞きながら歩いた道、そして、老人の死後、ひとり歩いて八十年前の風景に思いをはせて歩いた道)を歩くと少年時代の老人の姿が浮かんでくるように、どこかの風景が彼らのことを覚えてくれているとすれば、せめてそこには何かがあるかもしれません。

 

※ 第二の語り手(孫娘)は、「聞き手」たりえなかったがゆえに、老人たちの「語り」を封じたのであろうみずからの罪を想う。

 

※ 第二の語り手(孫娘)は、人が風景を記憶するのではなく、風景が人々を記憶しているのではないかと、ふと思う。

 

 孫娘は、「聞く」旅に出ようと思う。出発点は「彼」の暮らした洞窟のような押入れ。

 

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「語り手」は第三の語り手を呼び出す。

「彼」の息子の妻であり、「孫娘」の母である、「語り手」だ。

 

最初の「語り手」は、まずは、第三の「語り手」と「彼」の関わりを暗示する、ある情景を「聞き手」たちに紹介する。

 

それは、第三の「語り手」を「語り手」ならしめる、ある日の見知らぬ老女の出会いとそこで交わされた「風景」の記憶とでもいうべき物語。

 

老女の戦前の住み家の話が、彼女の記憶を呼び起こす。

彼女は高校に入るまでの間、日本各地のさまざまな土地を渡り歩いた。(中略)各地の学校でその土地の歴史を教わるたびに、たった二十年や三十年前に空襲があって焼け野原だったのだと聞かされた。一時期そのまちに住むだけの子どもには、とても背負いきれない。どのまちも外観は整っているのに、中身は傷だらけだ。

 

老女の現在の住み家(改修された団地)と風景の変容の話が、ニュースで見た震災の被災地の復興工事とニュースに登場した地元男性の心情へと彼女の思いをつなげてゆく。

あれはただの草はらではなく、あの(被災地の)男性のふるさとだ。彼はそこを去りたいと思ったわけではないのに、ふるさとは災害によって理不尽に壊され、復興工事によってあた奪われようとしている。しかしまちが再建されることは希望でも救いでもあっただろうし、いまではあの男性も、あたらしいまちで生業を再開しているのだろう。誰もがきっとあの男性と同じような矛盾を抱えていて、同時に支えられている。

 

まちが再建され、風景が塗り替えられた戦後の復興期には、あの男性と同じような葛藤があって、おばあさんがいま空き地を眺めながら感じていることに近しい感覚を持っていたのではないか。

 

※ ここにも第三の聞き手による「風景」と「記憶」にまつわる気づき。

 

そして、第三の語り手が、語りだす。義父である「彼」のことを。老女の語りが呼び出した「彼」の記憶を。(ここにも語りの「迂回」の法則。)

 

障害を負っていても、ことばを上手く発することができず、押入れの中でメモを書いたりぶつぶつ独り言を言いつつも、穏やかであった義父を語る「息子の嫁」は、病院で縛りつけられて何かを叫んでいた義父のことを想い起こす。

 

病室で聞いたあの叫び声はちょっと異質で、何かを訴えているように聞こえました。義父は優しいから、ああいう差し迫った状況にならないと、ことばを発せられなかったのかもしれない。つまり、ふだんはよほど抑圧されていたのではないかと思ったのです。

(中略)

病院のベッドに縛り付けられた義父が発したかったことばは、一体なんだったのでしょう。近頃上の娘は、じいちゃんは戦争の体験について語りたかったんじゃないかと感あげているようですが、その真相はわたしにもわかりません。

(中略)

けれどもわたしは、義父の人生をすべて知っているわけでもないので、義父がそれよりもっと叫ばなくてはならないような記憶を可能性も、消したしまいたくはないのです。

(中略)

団地のおばあさんが言っていたみたいに、風景と一緒に記憶も消えてしまうものだとしたら、義父はたくさんの風景を、時代時代で喪失してきたのかもしれません。

 

※ 第三の語り手もまた、他者の記憶の「わからなさ」について謙虚だ。

 

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「語り手」は第四の語り手を呼び出す。

 

「彼」の息子だ。息子は、「彼」をめぐる妻や息子の問いに何一つ答えられない。

 

語り手は、息子(便宜上「K」とする)の近況をまず「聞き手」に詳細に語る。

 

Kと教会の関わり。(両親が教会に通っていたことから、幼い頃から教会と関わりがあった)

三十代以降、教会から遠ざかったにもかかわらず、人生の困難に直面したときには、平穏な日常に戻れるまで再び教会に足繁く通ったこと。

この教会には、フィリピンからの出稼ぎ者が多く来るようになっていたこと。

「語り手」は、Kの周囲に広がる風景を丁寧に描写してゆく。まるでKが日々撮影していた風景の写真を文字に書き起こすかのように。

Kは、近頃また教会に通っている。それは震災の被災地で知り合った同い年の男の訃報を知ったから。男は写真館を経営していた。

Kは、最初の被災地訪問で、草はらになったまちを見た。

二度目の訪問で、山を削り、嵩上げの土を運ぶベルトコンベアを見た。復旧工事で変化するまちを見た。

写真館の男は、Kに失われた風景について、教会の立つ丘から語り聞かせる。

被災状況、消防団活動、亡くした家族や知人のことを語り聞かせる。

 

Kは、しかしいまこの遠方の地で二度目の会話をし、ふだんの生活では語られないような話を聞いている不思議を思った。

(中略)

いま男がしている話は、とてもプライベートな話のはずだとKは思った。親しい人をどのように亡くしたか、どんな苦労を経て仕事に復帰したかなんて、ふつうの状況だったら家族くらいしか、もしくは自分しか知らない秘密のようなものではないか。

 

Kは復興途上の被災地の風景を見る。

辺りが暗くなりだし、ベルトコンベアに点々とライトが灯ると、ますますその場所がどこだかわからなくなる。被災したまち跡は真っ暗で何も見えず、復興工事に従事する車両と、そのために造られた施設だけが煌々と光り、大きな音を放っている。まるでこの復興工事はこの土地自体と関係がないのかもしれない、とKは思った。

 

Kは自宅のテレビニュースで、写真館の男を見る。(これはきっと、彼の妻も見たニュースだ。)

男は、(中略) わたしたちも住民も頑張らなくてはなりませんね、と言い切る。Kは、自分と同じ五十代のふつうの男があの場に立たされていることのしんどさを想像しながら、でも彼自身はとっくに腹を決めているのだろうと思った。

 

寡黙なKは、このことを家族に話していない。

男の訃報を知ったあともKは何も話さず、ただ食欲が落ち元気をなくし、家族を心配させた。そして、ふたたび教会に通い始めた。

Kが男のことを毎日のように語ったのは、教会で顔見知りになったフィリピン人の女性だ。

(ここでも「迂回」の法則。語りは、こうして、遠くへ、遠くへと運ばれてゆく)

 

寡黙なKに代わって、「語り手」は、Kがフィリピン人女性に語ったことを記してゆく。

 

震災から二年ほど経った頃、被災したまちを訪ねた時に、同い年の男性と知り合って話をする機会がありました。半年ほど前に彼が亡くなったということを最近知りまして、わたしはその人に聞いた話はおろか、その人に会ったという事実すらまだ誰にも話せていないので、聞いてもらってもいいでしょうかが

 

このようにしてKは語りはじめる。

 さらに、

写真に撮れば何かを残せるはずだ、などというのは平常時だけの話なんですね。でも、そんなことはふつうに生きていたら知る由もないことです。

と、Kは言う。

同世代の男だから、分かち合う思い出もある。オリンピックのこととか、目まぐるしく変わる社会状況もまちの雰囲気も。

消防団の団長だった男が、亡くなる前、入院中に、津波で行方の不明のままの消防団員2名を夢の中で毎夜探したという話も、Kは語った。

消防団127名中、27名死亡、うち2人の遺体はまだ見つかっていない)

彼は入院中、その人たちのことを毎夜毎夜捜していたと言うのです。実際に病室から抜け出して転倒したため、何日かは身体をベッドに縛られていたそうですが、濁った水をかき分け、海底を攫い、あるいは被災したまち跡を歩き、伸びた草を引き抜き、嵩上げ工事の土を掘り返し……どこまでも捜し歩いたけれど、ついに見つけることができなかったのだと言います。

(中略)

そのときわたしは、彼が仲間を捜しにいったのは本当のことだと思っていました。これはきっと夢ではなくて、べつにおかしなことでもなくて、ただ本当のことなんだと思ったのです。

Kは、男が捜していた二人のために、男から思いを受けつぐようにして、祈る。

病床で夢をみる男を介して、自身の父親の晩年を思う。

もしかすれば父も、見つからない人を捜し求めていたのかもしれません。それが誰なのかわたしにはまったくわからないのですが、もしそうであるならば、父が捜していたその人を、わたしも捜したいと思います。

 

この話は、次々と連鎖してゆく記憶の物語であるから、終わりようがない物語なのであるが、「語り手」は、Kの話をじっと聞くフィリピン人女性の頷きと、問いをもって、いったん、物語の「場」を閉じる。

お父さんはどこまで捜しにいっていたのでしょうね。

 

すべては、「語り手」によって「彼」と呼ばれたひとりの「男」が、障害を得てからの後半生を過ごした押入れから始まる話。

あるいは、語りえなかったことばが暗やみの中に潜む記憶の洞窟の話。

「ことばがことばでなはない世界」としての洞窟。

この洞窟には、すりガラスを通ってくる陽光のような光がぼんやりと灯っている。

 

そこに記憶たちが潜んでいることはわかるけれども、それがどんな記憶なのかは、ぼんやりとして、もうわからない。

その記憶とつながるには、人々はまた別の他者の記憶を経由して、あるいは遠くへと旅をして、可能性としての記憶の物語を立ち上げてゆく、それぞれに。

どのような旅をして、どんな他者と出会い、記憶をめぐってどのような語らいをしたのか、そもそも自身がどのような体験をしたかによって、洞窟の中の記憶は、人それぞれに、問いとして、物語として、さまざまに立ち上がってくる。

 

 

記憶は真実、というよりも、むしろ夢に近いものかもしれないね、

 

ある記憶を、たった一つの物語に整理整頓して収めることは、到底無理ですね。

 

語るたび、聞くたびに、そのうえ聞き手の数だけ、一つの記憶からさまざまな物語が生まれ出るのですね。

 

そのうえ、しかも、語られなかったことこそが、実は本当は語りたかったこと、語るべきことでもあるのでしょうね。

 

「ことばがことばでない世界」に出会った聞き手が、わからなさに謙虚でありつつ、なんとかことばを捜し出そうとするとき、そこに物語が生まれるのでしょうね。

 

この世には、無数の「洞窟」があり、無数の未生の物語があるのでしょうね。

 

しかし、「洞窟」がそこにあることを知ってしまって、そこから旅に出るほかなくなった私たちは、私たちの行方不明の記憶の物語を、いったいどこまでいつまで捜しに行くのでしょうか。

 

『押入れは洞窟』。この物語の冒頭から、次々と「語り手」を呼び出しつつ、いっさい自分のことを語らない最初の「語り手」もまた、おそらく、そのような旅人のひとり。

この世を旅する無数の無名の「聞き手」たち、そして「語り手」たちのひとり。もう帰れない旅人。

 

これは、帰れない旅人の来歴を語る、ある日の夢のような物語でもありましょう。

 

 

 

 

 

 

黄晳暎 発言  メモ  

2008年「第一回東アジア文学フォーラム」発表原稿より。

 

民主主義、人権、自由、平等などは今やあまりにもよく口にのぼる。色あせた旗のように見えるが、今日的意義を失ったわけではない。お互いの状況はそれぞれ異なるが、作家である私たちは、まず国家主義民族主義から自由になる必要があることを強調したい。

 

私自身は地上のどこにも故郷をもたないが、ただ母国語で文章を書く作家だという点だけは忘れまいと思う。 

 

 

『パリデギ』原著 巻末インタビューより。

私は北朝鮮の難民を新自由主義の負の部分とみており、程度の差こそあれ、周辺部地域では餓死寸前の惨状が見られます。事実、戦争が続くアフリカでは動植物の種が滅亡するように、人間も種族単位で消されています。世界は激化する混乱の渦中にあるにもかかわらず、私たちはいつも西欧社会のうわべばかりを眺め、その尺度で自らを計り、それに自らを合わせようとしています。世界が共有する“文芸思潮”などないのです。自らと朝鮮半島の現在の生を、世界の人々と共有しようとすることこそ、作家としての私が国境や国籍に縛られない”世界市民”になる道なのです。

 

 

黄晳暎『パリデギ 脱北少女の物語』(岩波書店) メモ  

この作品は、ムーダンたちの語る「パリ公主」神話を下敷きにしている。

 

北朝鮮に生まれ、生き難い状況に追い込まれ、家族と生き別れ、豆満江を越え、中国へと脱出し、運命のいたずらのようにして英国へと密航する。

 

北朝鮮脱出後、ついにはすべての家族を亡くしたときから、主人公パリの世界という「問いに満ちた」荒野への旅が始まる。問いを抱えたまま幽冥の境をさまようすべての死者たちの問いへの答えとなる「生命水」を求めて。

 

この物語の副題を「脱北少女の物語」としたのは、ここに書かれているスケールの大きな物語にはそぐわないような感も受けた。

 

物語の終章、

この世とあの世のあわいをゆく舟に乗って、パリはさまざまな死者から問いをぶつけられる。それはパリ自身の問いでもある。

 

「どんな理由で、私たちは苦痛を受けたのか。なぜ私たちはここにいるのか」

もうひとりの黒人のシャーマン、ベッキーの問い。

パリが答える。これは誰かの声をその身におろしての声。

「人々の欲望のためだそうだ。人よりいいものを食べて、いいものを着て、いいものを使って、いい暮らしをしようとして、私たちは苦しめただろ。それで、お前らの船に一緒に乗っていらっしゃる神におかれても苦痛でいらっしゃるそうだ。あの者たちを許せば、この者たちを助けることになるであろう」

 

「どうして悪い奴が世の中で勝利するのか教えてくれ」

ムスリムのウスマンの問い。

パリが答える。

「戦争で勝利した者は誰もいない。この世の正義なんて、いつも半分なのよ」

 

「俺たちの死の意味を言ってみろ!」

おそらく自爆テロで死んだムスリムの男の問い。

パリの答え。

「神の哀しみ。お前たちの絶望のためだ。その方は、絶望と一緒にはいらっしゃれない」

 

「私の死の意味も教えてください」

ブルカをかぶった女人の問い。

パリが答える。

「西洋の奴らとお前の家の男どもが、その顔を覆っている布切れを一緒になってかぶせたのさ。外国の奴はそれを脱がせてこそ開化だと言い、お前の国の奴は家を取りしきってこそ自分を守れると言う。神が最も哀れに思し召す、この世の顔がお前たちだ」

 

「ここにはお前が最も憎む者らが乗っている。私らはいつ解放されるのか」

これはパリが誰より憎むシャンの声。パリの娘を死に至らしめたシャンの。

パリが答える。娘の声で答える。

「私の母が縛られてる。母が憎しみから解き放たれたら、お前らも解放されるだろう」

 

あわいの舟を降りた現実世界はまだ問いに満ちている。物語はロンドンを襲うテロの場面で終わる。

 

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以下、

http://jiyudaigaku.la.coocan.jp/kannkoku/bariteki.htm よりの引用。

 

バリ公主(王女)の両親は、占いの結果を無視して厄年に結婚し、世継ぎの太子を望んでいたが、それとは裏腹に七人の公主が次から次へと生まれ、激怒した父親は末っ子であるバリ公主を捨てるように命じる。
 バリ公主を捨てたため、両親は不治の病にかかるが、捜し出されたバリ公主が、親の命を助けるため西天西域国へ薬水を求めて旅立つことになる。
 途中、様々な苦難が待ち受けているが、釈尊地蔵菩薩弥勒菩薩、神などの加護で、その苦難を乗り越える。最後に、神(弥勒)と結婚し、九年間に息子七人を産み献じ、その見返りとして薬水をもらい、親のところへ帰る。
 そこですでに亡くなっていた両親を甦らせ、その褒美として、バリ公主とその息子たちは、十王またはそれに準ずる神となる。 (金香淑 『朝鮮の口伝神話―バリ公主神話集』 1998和泉書院 p.22~23)
 

 

・死霊祭において巫堂(ムーダン)により唱えられる、バリ公主を主人公とした代表的な巫歌。口伝であるため異本が多い。

 

・バリ公主のバリは「捨てる(バリダ)」という動詞からきている。公主は王女。地方によってはベリテギと呼ばれるが、これは「捨て子」のこと。他に七公主(七番目の娘から)、オグ大王解(父親がオグ大王と呼ばれていたことから)などの呼び名もある。

 

・バリ公主は、両親を甦らせたことから、巫祖の神として死霊を極楽へ連れて行くとされる。

 

珍島アリラン  (資料)

진도아리랑(Jindo Arirang)

 

아리 아리랑 스리 스리랑 아라리가 났네~~ 아리랑 응응응아라리가 났네

 문경새재는 웬 고갠가 구부야 구부구부가 눈물이로구나

  

아리 아리랑 스리 스리랑 아라리가 났네~~ 아리랑 응응응아라리가 났네

노다 가세 노다를 가세 저 달이 떴다 지도록 노다를 가세

 

아리 아리랑 스리 스리랑 아라리가 났네~~ 아리랑 응응응아라리가 났네

청천 하늘엔 잔별도 많고 우리네 가슴속엔 희망도 많다

  

아리 아리랑 스리 스리랑 아라리가 났네~~ 아리랑 응응응아라리가 났네

가지 많은 오동나무 바람 잘날 없고 자식 많은 우리 부모님 속 편할 날 없네

  

아리 아리랑 스리 스리랑 아라리가 났네아리랑 응응응아라리가 났네

십오야 밝은 달은 내 사랑 같고 그믐의 어둔 밤은 애간장 녹이네

 

아리 아리랑 스리 스리랑 아라리가 났네~~ 아리랑 응응응아라리가 났네

높은 산 산산봉 외로 선 소나무 외롭다 하여도 나보다는 났네

 

아리 아리랑 스리 스리랑 아라리가 났네~~ 아리랑 응응응아라리가 났네

날 다려 가거라 날 다려 가거라 이 심중에 꼭 있거든 나를 다려 가거라

 

아리 아리랑 스리 스리랑 아라리가 났네~~ 아리랑 응응응아라리가 났네

해당화 한 송이를 아자지질끈 꺾어 우리 님 머리 위에 꽂아나 볼까

 

아리 아리랑 스리 스리랑 아라리가 났네~~ 아리랑 응응응아라리가 났네

아우님 북가락에 흥을 실어 멀고 먼 소리길을 따러 갈라요

 

아리 아리랑 스리 스리랑 아라리가 났네아리랑 응응응아라리가 났네

만경창파에 둥둥둥 뜬 배 어기어차 어야디어라 노를 저어라

 

아리 아리랑 스리 스리랑 아라리가 났네~~ 아리랑 응응응아라리가 났네