求愛

原稿を書く合間に、あれこれ本を眺める。

心和むのは、最近近所の古本屋で手に入れた「ゑげれすいろは詩画集」(川上澄生全集第一巻 中公文庫)
ざっくりとした版画と、妙な抜け具合の言葉。
AからZまで(つまり、ゑげれすいろは)のJは、版画でトランプのジャックが彫ってあって、それに添える言葉は

「JはJack せめてあの人のJackになりたい。Kingになるなんてもったいない」

この味わいは、言葉なしの版画一枚からも、しっかり滲み出していて、たとえば、大正15年作の「求愛」という作品。↓

すっとぼけた悲哀。ちら見しては、にやっとする。


内田樹先生が、アンドレ・ブルトンの『ナジャ』の最後のフレーズ「美とは痙攣的なものだろう。さもなければ存在しないだろう」の「美」は、「文学」に置き換え可能とおっしゃっている。そうかもしれない。

所詮、痙攣。でも、確信犯で痙攣し続けるのも、なかなかに愚かで、大したことであるとも思う。痙攣してこそ存在するもので、それを存在させたいと思うならば、痙攣しつづけるしかない。