サローヤン『人間喜劇』の人々が暮らすイサカは、放浪の末に人間がたどりつく「故郷」であるらしい。ここにやってくれば、故郷を探し求める人間たちの旅も終わるらしい。イサカはホメロスの手になる「オデュッセイア」の主人公、トロイ戦争の英雄オデュッセウスが帰ろうとするほどに遠ざかる故郷、最後にようやく「異人=まれびと」のいでたちで帰還した町。
『人間喜劇』の訳者である小島信夫はあとがきでサローヤンのイサカを「善人部落」と評したけれど、私が思うにイサカは「善人」と言うより、「異人」たちの町である。この町は、異物、異人、敵、悪を、客人として迎え入れる。物事や人間を、善悪、敵味方、異同を越えたところに連れて行く。未来の故郷として、この町は存在している。イサカの異人には、死者も含まれている。イサカでは生と死もまた対立するものではない。
イサカ。そこはサローヤンがアメリカとアメリカ人に託した夢の形のようにも感じられる。ギリシャの叙事詩に描かれた古代の人と世界のありようが、『人間喜劇』において未来の人と世界のありようとして立ち現れる。
繰り返し言うが、そこは善人の世界ではない、善も悪も喜びも苦しみも希望も絶望も含みこんだ上での異人たち(=客人たち)の世界なのである。