「詩人は」

詩人は 片目をおおうて 世を渡る
二つの珠玉を見せて 一つだけ取れといった人には 珠玉の輝きを讃えるだけで踵を返した

どこへ行くところかと 問う人があれば

ただにっこり笑ってだけみせよう

襤褸をまとって街に立ち こころはいささかも乱されぬ。



これは李漢稷(イ・ハンジク)の詩。植民地朝鮮で煌めく詩才をもって登場した早熟の詩人。
戦後、諸事情により日本に渡ってきて、世事に追われて、なかなか詩に向かう時間を持てなかったという。寡作、寡黙の詩人。

没後に発見された作品「潔らな手の持主が」(1960年の作)は、痛いくらいにひりひりと胸にしみる。


「潔らな手の持主が」

いま彼処(かしこ) 燦爛と咲き誇る 
あの花の名は何というのでしょう


きびしい風雨と 
炎熱と酷寒に耐えぬき 
いま夕焼色に染まった花びらをひろげようとしている 
あの花の名は何というのでしょう


正しいと信じることのために
莞爾と息をひきとった若者たちが
馬山で 世宗路で
そして孝子洞 あの電車の終点で


流した尊い血を糧として
いま彼処 目もあやにぱっと開いた
あの花の名を教えてください


きかん坊で言うことをきかず
てこずらせた奴もおりました
先生 一杯おごって下さいと
甘えた奴もおりました
家庭教師の口を頼みこんできた奴もおりました


正しいことをせよといっておきながら なぜ止めるかと
とどめる手をふり切って飛び出した奴らでした
老いて心も濁り
怯懦のゆえに独裁と妥協してきた
愚かな教師は涙も乾ききらせて
夕焼色の花々を眺めております


潔らな手の持主がおいでなら
この前に出てきて下さい
私の代りに あの花の上へ
そっと手をのせてみて下さい


奴らのあの熱い体温が
じかにそこから伝わってくるでしょう

(1960.4.27作)



1960年4月、学生たちが命をかけて李承晩政権を倒した、その直後に書かれた詩。
ゆえあって、日本で、世俗にまみれて、何かに妥協して生きる道を選ばざるをえなかった詩人の声。
生きる哀しみ。