私には分からないのです

済州島の民謡の名唱 コ・ソンウクさんからいただいた済州民謡のCDを聴く。島の響き。韓国語の響きの中から、八重山で聴いたユンタのような響きが立ちのぼってくる。
なんだか、懐かしいと聴くうちに、いきなり虚をつかれたのが、「行喪歌」(弔いの葬列の歌)。
いったいぜんたい、もう、いきなり、こんな歌を……。

鈴を鳴らしながら 
ホーニョル ホーニョル ホガリヌンチャン ホーニョルと
歌の合間合間に繰り返し唱えながら、
歌っていく。

1 行くよ行くよ 私は行くよ 共同墓地へ私は行くよ
2 共同墓地に行く道は どうしてこんなに寂しいのか
3 あの世の道は遠いというが 窓の外はもうあの世
4 一家親戚 数は多いが 誰がいっしょに行ってくれようか
5 人生一場 春の夢 死んでしまえば それまでよ
6 明沙十里 海棠の花よ 花が散ったと 悲しむな
7 花が咲き 散り落ちても あくる年のこの季節 春三月になれば
8 花はまた咲くというのに ひとの命は ひとたび散れば
9 帰りくるのは なんと難しいことか また生まれくるのは なんと難しいことか


このCDを聴きながら、島の詩人の43の記憶にまつわる詩を訳していた。43の虐殺現場で、銃で撃たれて、あごを吹き飛ばされて、なくなったあごのところを木綿の布で覆って、43以降を生きてきた、あるおばあさんの、言葉にならない記憶の前で立ちすくんでいる詩。

しかし、詩は難しい。詩を読み取るだけの言語感覚が私にはまだない。
以下、試訳。おそらく誤訳多々あり。


『木綿布老婆  ―ウォルリョン里 チン・アヨン― 』

女がひとり 石垣の下にうずくまっています
手のひらの 仙人掌(さぼてん)のように 座りこんでいます
白い 真っ白い 木綿布で あごを包んで


泣き声が語り声で 語り声が泣き声の 
彼女、くっくっ堰きとめられた喉ひこの音韻 私には分からないのです
あばらの骨を震わせて泣く彼女の声 私には分からないのです
戊子年のあの日、生きようとタタタ走りこんだ 畑の石囲いのなかで
誰が放ったのかわからない
鋭い一発に ざっくりまるごと飛んでいってしまった あご
そんな目にあったことのない私には分からないのです
その苦痛のなかの長い夜 果てしない
闇を 見たことのない私には分からないのです
リンゲルを打たなければ 眠れない
彼女の体の声を
すべての言葉は 符号のように飛んで 倒れ死に
すべての夢は 遠い海へと 突き刺さり
闇が深まるほどに 痛みは深まり
ひとり むなしいものどもと闘い 夜明けを待つ
そんな経験のない私には 
その深い苦痛は 心底 分かりようがないのです
彼女が踏んだすべての場所から 踏みそこなった言葉が聴こえると
海鳥が鳴いています
いま 煌々明るい天地 はらりと錠をはずした
広々とした世の中
もうひとつの世の中がやってきたというのに
かたく鍵をかけた 扉の前で
ひとりの女が 悲しい目 生ぐさい夕焼けに 顔を埋めます
今日も真っ白な木綿布を巻いて
石垣の下に座りこんでいます 
ひとりの女が