メモ 大津波記念碑

岩手県宮古市重茂半島姉吉地区 「高き住所は児孫の和楽/想へ惨禍の大津波/此処より下に家を建てるな」「明治二九年にも昭和八年にも/津波は此処まできて部落は全滅/生存者は僅かに前は二人後は四人のみ/幾歳経ても要心何従」

岩手県大船渡市大船渡町富沢 西光寺 「一 想起せ昭和八年三月三日  二 大地震の後には、津波に注意せよ  三 四十年に一度は、津波が来るものと思へ  四 急に潮が引いたら警鐘鳴らせ  五 警鐘聞いたら高い所に」

岩手県昭和震災史』(一九三四年刊 岩手県編纂)によれば、「災害防止施設の一端として東京朝日新聞社の指定義捐金二万六千二百三十円を以て、罹災地各町村に震災記念碑を建設せしむることとした。此の碑は各部落毎に津波浸水線上適当の箇所に震災年月日時・死亡者数・流失戸数等を表示した石標を建設し、津波の浸水線を標識すると共に、右線内は今次津波の被害地帯であり、且つ将来も亦容易に津波の氾濫すべき地域であることを後世に知らしめ、災害を警戒せしむるものである」


以上の史料は『季刊東北学 第28号』特集「地震津波原発東日本大震災」中の「三陸海岸津波の碑」(野添憲治)より。