目が見えるからこそ、見えないものがある。

メモ1
『雪国の春』(角川ソフィア文庫)のうちの「東北文学の研究」の最後のほうに<盲目の力>という項がある。
「盲人はことに目に見えぬものの音響を伝えるに、適していたのではなかったか」
「諸国に分布した逃流説話の一つで、多くは陀羅尼の功徳により、耳だけ切り取られて助かったことになっているが、山の神や路の紙その他怖ろしい神が盲人の目が見えぬに乗じて近々と現われ来たり、歌曲を所望したという点ではいずれも同じである。恐らくはかつて神と人との間にに立つ役に、特に選定して盲目を用いた名残だろう」

ここのところ、イタコ、瞽女が語り伝えた「安寿」伝説を追っている。
見えるがゆえに見えないこと、見えないがゆえに見えることを、想っている。

メモ2
柳田國男津軽の旅」より。(『雪国の春』角川ソフィア文庫所収)
「この渡し場からは雪の岩木山が真正面に見える。寂しい十三湊の民家は、ことごとく白い大きなこの御山の根に抱えられて、名に高い屏風山保安林の緑が、わずかに遠い雪と近い砂山との境を画している。母から昔聞いた山荘大夫の物語、安寿恋しや津志王丸の
歌言葉が、はからずも幼ないころの悲しみを喚び帰した。娘のアンジュは後にきてこの山の神になったによって、丹後一国の船は永く津軽の浦に入ることを許されなかったということも、ここにきてあの御獄の神々しい姿に対するまでは、明らかにその来由を理解しえなかった。越後・佐渡から京西国にかけて、珍しく広い舞台をもつこの人買い船のローマンスは、要するに十三の湊の風待ち徒然に、遊女などの歌の曲から聞き覚えたものに相違ない。そうしてその感動を新たに花やかな言の葉に装うて、つぎつぎに語り伝えた女たちも、また久しく国中を漂泊していたのであった。
 しかもその千年来の恋の泊りが、今や眼前において一朝に滅び去らんとしているのである」

安寿伝説をめぐって、
ぷねうま社刊『安寿 お岩木様一代記奇譚』(坂口昌明)を面白く読んだ。
盲目のイタコの語りが生まれ来る世界。
なぜ「お岩木様一代記」の安寿は加賀にルーツを持つのか? というような問いをめぐる考察も興味深い。
17世紀以降の津軽半島の新田開発を支えたのは、若狭以北の日本海沿岸部からの人口移入ではなかったのでは、と
天明の飢饉後の福島の相馬藩が政策として真宗信徒を北陸から移民として迎えたように。

ディアスポラ、放浪、漂泊の中に孕まれる物語。