妙国寺とは、説経「さんせう太夫」の原曲とされる能「婆相天」ゆかりの寺という……。

寺の由緒書きによれば、寛永元年(1624)に建立。
祀られているのは、「感応稲荷」「胞姫尊天(子授安産)」「山岡神霊位(事業繁栄・除病延寿)」。

この「山岡神霊位」として妙国事に祀られているのが、「婆相天」に登場する直江津の問の左衛門ではないかとされている。
つまり、かつて、直江津で「問」として大いに繁栄していた「山岡」という人物がいて、そこから左衛門という人物造形ができあがったものという説がひとつ。
(山岡神霊位は、妙国寺の前身の勝蓮寺の過去帳に、昔より言い伝えの墓として記されている)。


「山岡」=「問の左衛門」


さらに、「婆相天」の問の左衛門の所業(安寿・厨子王・母御前を奴婢として買い入れて使役していた)は、説経「さんせう太夫」の無慈悲な山椒太夫にも相通ずる。


山岡神霊位=問の左衛門=山椒太夫


と、連想ゲームのようにして、三者はつながっていく。
それゆえ、山岡神霊位は山椒太夫のモデルであるという説も出てくる。


いずれにせよ、能であれ、説経であれ、人買いの物語を起動させるのは、
直江津あたりで大いに活躍した「問」(今でいうところの総合商社と由緒書にはある)なのである。


大正4年の高田・寺町の大火で焼失した「山岡神霊位」の堂祠が再建・復活したのは平成11年(1999)3月のこと。
能「婆相天」が上越市30周年を記念して復曲・上演されたのが、1999年10月のこと。


なるほど、ここには、確実に、「山椒太夫」の物語の力を高田の今、妙国寺の今に結び付けようとする力も働いていたのだろうなぁ。


というわけで、以下は、「婆相天」復曲・上演を契機に妙国寺が作成した思われる案内書と、妙国寺から頂いてきたお札。