その昔、人買いって、どれだけ跳梁跋扈していたんだろう?

『自然居士』『桜川』『隅田川』。これは身売り・人買いを扱う能の演目。
西行が語り手であるかのような体裁で編まれた鎌倉前期の仏教説話集『撰集抄』には、越後の寺泊らしい海辺の市で人身売買が行われている様子が書かれている。(漂泊の旅人西行がそれを目撃したと)。
「……海のうろくづ、山の木の実、絹布のたぐひを売り買ふのみにあらず、人馬のやからを売買せり。その中にいとけなく、又さかりなるは申すに及ばず、頭にはしきりに霜雪をいただき」弓のように腰のまがった老人までが売られていると。

さて、『婆相天』。これは廃絶していた曲が500年ぶりに1999年によみがえって、上越市発足30周年記念事業で上演されたものなのだけど、なぜ上越でかというと、これこそが説経『山椒太夫』のおおもとの『安寿と厨子王と母の物語』なのだという。


話はいたってシンプル。

直江の津に、東国船、西国船がやってくる。どちらの船の船頭も人買いが目的で、直江の津の問の左衛門を訪ねてきた。
直江の津では人買いはお上より禁じられているものの、東西の船頭のたっての願いで隠密裏に東にひとり、西にひとり、問の左衛門は人を売ることとする。問の左衛門のもとに売られてきて労役をさせられている母と姉弟の三人家族のうち、母ひとりを残して、姉を東に、弟を西に。

子らを売られたと知った母は問の左衛門に頼んで、姉弟とともに船に乗ることを許されるが、東と西とどちらの船に乗ったらいいものか……。まるで「ソフィーの選択」のような状況。

母は東も西も選びきれずに、海に身を投じる。すると、母が日頃より信仰していた千手観音が、婆藪仙人をつかわして母を仏界へと救い上げ、姉弟を富貴の身にとひきあげる。

これが説経「山椒太夫」の原曲たる『婆相天』なのだという。

この姉を安寿、弟を厨子王と、復曲『婆相天」の配役表には書いてあるが、これは後付けのような気がしなくもないが、実のところはどうなんだろう?

この問の左衛門の墓らしいとされているのが、上越市寺町・妙国寺の「山岡太夫」の墓。
「山岡太夫』と言えば、説経「山椒太夫」に登場する直江の浦の人買い山岡太夫

妙国寺の「山岡太夫」の墓がつなぎ目となって、『婆相天』の問の左衛門と、『山椒太夫』の山岡太夫がつながってゆく。


物語と現実を結び合わせてゆく想像力がそこにはある。