四月十七日夜 篠田正浩監督、亀戸にて、「語り」を語りつくす

今宵もまた遅くまで夜の街を野良犬のようにうろうろ、昼間の生暖かさは、夜には冷たい雨に変わっていました。

今夜は亀戸で映画監督篠田正浩の、「語り」をめぐる話を聞いてきたのです。

篠田正浩といえば、私にとっては「心中天網島」「はなれ瞽女おりん」「桜の森の満開の下」。「沈黙」は観たいけれどまだ観ることができずにいる。

映画を撮るということが、そこには芸能者が集まるという一事をもって、時には映画それ自体が芸能そのものに触れてゆくという一事をもって、篠田正浩は日本の芸能をさかのぼりその根源へと踏み込んでゆく、徹底的に。

それはもう『河原者ノススメ』(幻戯書房 篠田正浩)を読んでひしひしと感じた。

だから、出かけた亀戸、にて。

ちょうど篠田さんが菅原道真の話に差し掛かったところで、外では激しくうなりをあげる風雨の声、
「なぜ道真は怨霊となり、義経は怨霊とならなかったのか」
そのとき篠田さんはこんな問いを口にしたのでした。
そしてつづけてこう言った。
義経は無数に語られつづけた、語られることで義経は鎮められた。
浄瑠璃などでは関係のない演目でも必ず義経は登場する、
陸奥判官びいき、日本人の判官びいき
そこには敗者に寄り添う地べたの声がある、想像力がある、
地べたに生き、地べたを旅する者たちが、小さな声で語り継いできた
この世の敗者たちの物語があると。


篠田さんはこんなことも言いました。
安寿と厨子王をいたぶる山椒太夫、安寿を責め殺す三郎、
逃亡して出世した厨子王は、山椒太夫の首を竹鋸で三郎に引かせます。
「一引き引きては千僧供養、二引き引きては万僧供養」
この場面に至っては、息子に親の首を引かせる厨子王の「悪」こそが際立つのだと、
厨子王の「悪」は、強大な権力を握った者の「悪」なのだと、
それを名もなき語りの者たちがしっかりと声にしていくのだと。


しかし、私はここで、水上勉が「山椒太夫」の同じ場面で語ったことも合わせて考えたいと思ったのでした。
厨子王丸がいま世に出ることができ、丹後の守護になったぐらいでは、村の辻に集まった門説経の客たちは満足しないのである」
「客はこれで、正道(=厨子王)が怨みを晴らしてくれるよう次の段を待つのである。説経節はここぞとばかりに説き語り、(中略)人形たちは喝采あびるのである」
語り部もれっきとした集団や家族をもたずに孤独に旅する人であったろう。(中略)説経節を語る人は殆ど流浪していたし、芝居を見にもゆけず、村の辻へきた者も、貧しい人々であった。(中略)貴種流離の人買い話が、かくも残酷であったことを、身につまされてきいていたのである。正道が、山椒太夫一族をこれからどのように処罰するかに期待をかけたのである」

権力者厨子王の「悪」を呼び出すのは、「語り」の場に集う流浪の民、貧しき民なのだということ。
「悪」は権力者ひとりでは成就しないのだということ。
そして、私は、国家権力に翻弄されてきた歴史を持つ遥かな小さな南島で、「しかし本当に怖いのは名もなき庶民なのだ」と語った人の言葉を切実に想い起こしたのでした。


さて、篠田正浩の話に戻ります。
かつて日本には、この世の敗者、放っておけば怨霊になるような者たちをめぐる、「説経節」のごとき「語り」がありました。
ところが、近代戦というものがはじまって、戦の場で人間が生身の一対一で殺し合わなくなってから、
「語り」の質がどんどん変わっていったのだとも篠田さんは言いました。

殺戮が彼方で繰り広げられるオートメ―ションの戦争では、殺し殺されることも人間の想像力の外の出来事となって、人間の世界から敗者も勝者も怨霊も姿を消してゆく、(でも、けっしてその存在自体が消えたということではないのです、見えなくなっただけ、想像できなくなっただけ)、痛みも涙も悲しみも敗者を悼み鎮める「語り」の声も消えてゆく、
だとすれば、この世は、もはや、誰にも気づかれることのない怨霊で満ち満ちた恐ろしくも哀しい世界、なのかもしれません。
ノーベル賞が取りざたされる村上某がいくら現代の物語を紡いだところで、語りの本質的な意味において、「説経節」を凌駕することなどできないのだとも篠田さんは言いますが、それはつまり、痛んで悲しんで涙して悼んで鎮めて昇華して、くりかえしこの世を再生させる語りの声が、現代の物語の中にはないのだということでもありましょう。



ふたたび義経の話です。篠田さんは「橋弁慶」にも触れた。
能の橋弁慶では、牛若丸は千人斬りをめざす狂気の者として五条大橋に現れます。
その千人目の標的に武蔵坊弁慶が登場します。
なるほど、篠田さんの言うとおり、牛若丸は狂うほかはなかったのでしょう。
父は清盛に殺され、母は清盛の女にされ、自身は鞍馬山の稚児となり……。
だから、かつての地べたの者たちの想像力は、きちんと牛若丸を狂わせます。
そして救う。

思うに、千人斬りの「千」は「永遠」の別名です。
牛若丸の怨念は呪いとなって永遠の狂気、永遠の殺しへと牛若丸を駆り立てる、
その呪いを解く者として千人目の弁慶は現れる。


そしてその弁慶は、「義経記」では、
衣川の戦いの場面で無数の矢を身に受けて見事に立ち往生を遂げる。
その姿はこう語られます。
「黒羽・白羽・染羽、色々の矢ども、風に吹かれて見えければ、武蔵野の尾花 秋風に、吹き靡かるるに異ならず。」
弁慶は武蔵野の尾花になる。色とりどりの尾花になる。


私はその姿をじっと思い浮かべてました。
武蔵野の尾花となった弁慶を語る者たちの小さな声に耳を澄ましました。
そして野良犬のように、幻の武蔵野を、雨に打たれて歩いていました。


歩くほどに、篠田正浩の語ったことは、既に篠田正浩の語りではなく、一匹の雨夜の野良犬の語りにすりかわっていくようなのでした。