人間が人形に動かされる瞬間がある。

今日、2015年2月1日、新潟県民会館で猿八座の古浄瑠璃公演『源氏烏帽子折』を観てきた。昨年12月に猿八座の座付太夫の渡部八太夫師匠に入門したこともあって、ただ観るのではなく、裏方スタッフの一人として、リハーサルの様子を眺めたり、ほんの少しだけどお手伝いもしたりした。

『山椒太夫』を追いかけるかたわらで、『源氏烏帽子折』も是非観てみたい演目の一つだった。というのも、『源氏烏帽子折』は、『山椒太夫』と同様、佐渡で座頭によって語り伝えられてきた演目で、それが文弥人形でも演じられるようになったものだった。

公演パンフレットによれば、
『源氏烏帽子折』は近松門左衛門の作(1690年)で、義経伝説をもとに能や幸若舞の『烏帽子折』等を脚色して書かれた。初演は大阪の竹本座(座元・竹本義太夫)。だが、現在は義太夫節で語れらることは稀。古浄瑠璃・文弥節を継承する佐渡・石川県・宮崎県・鹿児島県の四地方においては重要な演目として現在も上演されているという。
近松初期の作品には古浄瑠璃太夫のために書かれた作品も多数ある。初期の義太夫節には文弥節の曲節が多用されていたとも考えられている。
古浄瑠璃・古説教の香りを今に残す文弥節を聴く楽しみが、猿八座の古浄瑠璃公演にはある。

そして、実際に、今日、『源氏烏帽子折』を観て、金平モノ(ちゃんばらもの)や「源平軍談」を好んだという佐渡の人々には、この演目は、きっととても好まれたのだろうとも思った。

常盤御前のはかなさ、今若、乙若、牛若のけなげさ、いたいけなさ。それは涙を誘いもすれば笑いも呼ぶ。
裏切り者たちのいかにも悪漢のふるまいも、忠臣たちのあまりに忠義な行いと言葉も、そこにはやはり人間という生き物の可笑しみがある。
それを人形で演じる。人形には、人間のなまなましさとは違う、人間くささがある。
人形遣いには、人形を遣いながら、人形に遣われていると感じる瞬間があるのだという。
人形から流れてくる感情に人間が動かされる一瞬があるのだと。

人形に流れる感情とは、いったい誰のものなのだろう?
いったい、どこから降りてくるものなのだろう?

生と死のあわいに人形は立つと、そんな密かな声も今日は聞いた。



以下は、猿八座HPからの引用。<佐渡の文弥人形>についての参考メモ。<文弥人形>

はじまり
佐渡の人形芝居の始まりは定かではありませんが、江戸時代、金山で栄えた天領佐渡に多くの芸人が来島し、様々な芸能が定着していったことは明らかです。遅くとも18世紀初めには、説経節に合わせて遣われる高幕人形の座ができていました。一方、上方では義太夫節流行以後すたれた文弥節が、佐渡では江戸時代末まで盲人座頭の座敷語りとして伝えられてきました。

明治から現在
 明治の初め、大崎屋松之助は語りを説経節から文弥節に替え、舞台、人形の構造に上方の文楽の様式を取り入れた人形芝居を創始しました。より豊かな表現が可能となった「文弥人形」は、説経高幕人形を凄ぎ、大正の頃を頂点に、現在でも十余りの座を数え、島内各地の祭り等で上演されています。
 日本の人形芝居の原形を偲ばせる、古浄瑠璃系一人遣いとして、1977年、説経・のろま人形とともに国指定重要無形民俗文化財になりました。<人形・舞台>
舞台は腰幕と御殿で仕切られる二重構造で、人形はさぐり(うなずきの糸)の付いた首(かしら)をつけた、背割れ、一人遣い。

文楽では人形1体につき3人の人形遣いがいますが、文弥人形では1体の人形をひとりで操ります。人形の大きさは文楽のものと同じくらいですが、構造も操り方も文楽に比べて大変シンプルです。文楽人形の完成された動きに対し、文弥人形には存在感のある簡素さがあります。文楽のリアルな人形の動きには驚かされますが、文弥人形には想像力をかきたてる力があります。

演 目
「山椒太夫」等の説経物や、「源氏烏帽子折」等、近松物が多く演じられています。

 日本の人形劇には長い歴史があり、大人が楽しむ劇場芸術として発達してきました。近松門左衛門の劇作には、歌舞伎の作品もありますが、殆どの物語が人形劇のために書かれました。近松は、芸術は現実と虚構の狭間に存在するという信念に基づき物語を書きました。このため、近松の世界を表現するためには、人間の役者より人形の方が適役だったと考えられます。