文字を持つ伝承者(2)高木誠一翁(1886〜1955:明治19年生)福島県平市神谷

高木誠一翁の家について
「よくはわからぬが、もともと加賀白山の山伏であったらしい。それがこの土地におちついて、白山神社をまつり、村を神の加護によっていろいろのわざわいからまもる役目をしてきた。……家の神であった白山社は村の氏神になってしまった」
 

高木誠一翁の九十近い老父の話を聞いて宮本常一曰く
「この人たちの生活に秩序をあたえているものは、村の中の、また家の中の人と人との結びつきを大切にすることであり、目に見えぬ神を裏切らぬことであった。


福島・平のシンメイさまについて(この話の時点は、昭和15年
「もとはワカと呼ばれる巫女たちがもってあるいて門付などしたという。しかも巫女はそれぞれ所属があり、伊勢、熊野、白山なふぉが多く、シンメイさまも伊勢シンメイ、熊野シンメイ、白山シンメイなどと呼んだらしい。……、こうしたシンメイをもちあるいた巫女は多くは眼があいていたし巫女というとものものしいが、農家の妻女が多かったのである。(中略)したがってシンメイさまは多く民家にあったが、いまは民家にそういう女がいなくなったので、もったいないからとて神社へ納めたものが少くない。するとシンメイさまにとものうていた多くの信仰習俗や伝承がそのままきえていってしまうことになる。この地方のシンメイさまの信仰もちょうどそうした段階のところにあった。」



民間の口承伝統は文書資料とちがって自分たちの生活に必要のなくなったものはぐんぐんわすれ去られていく。しかしただ忘れ去られたのではなく、神体だけはのこり、管理者がかわっているものである。民間にうけつがれている文化にはこうしたものがきわめて多い。そしてそれらがかりに記録せられるとすれば、信仰のもっとも盛んなときではなく多くは衰退期であって、かなりこわれていてこのままでは忘れられてしまうから書きとめておこうという場合が多い。過去において文字はそうした場合に役立つ者であった。高木さんはそういう意味で、古い伝承者たちの伝承を、現代へつなぐための重要な役割をはたしてきた一人であるが、ご自身もまた完全な民間伝承者であった。