「オクサン、オデミ」
「オデミ、オッチェ(オデミてなあに)」
「オクサン、ドコスンデル」
「五区ヨ、タンシン、オリマッソ(あんたはどこ)?」
「タンシン、チョッコン、チョッコン(すぐそこ)」
「チョコマン サラメ オルマ(子どもは居るの)?」
「ハナ、ツリ、ソイナ」
「タンシン、カンゼ マアニ イッソ(じゃがいも沢山ね)」
「ウリ ハタラクカラネ。ナンデモ マアニ イッソヨ」
「トン(お金)トカエル?」
「アンヨ、アンヨ、カンゼイリイッソヨ(いいや、じゃがいも要るよ)」
「オクサン、チャバッソ スル?」
(これは、たぶん、「奥さん、手伝い、いる?」 チャバッソは、持ってあげる ではないかと思われる。この場面では、マキナを取りに行った場面でのオモニの言葉)
「エエ」
「シタエダ、イリ オプソ(下枝要らない)?」
「オモニニアゲル」
「オモニキョウハ生理ネ。カラダナップン(悪い)?」
「オクサン ヨークワカルネ。オクサン ムネ チョンゴシ(心がきれい)」
「オンナノカラダハ、イボンサラメモ、チョウセンサラメモ、ミナハンガチ(同じ)?」
「ハンガチヨ」
「コンマスミダ(ありがとうございます)」
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これは朝鮮語を覚えた数少ない日本人社宅の奥さんであった緒方キクノさんの記憶の声。
日本の女も朝鮮の女も、体はみな同じ、
ということは、遊郭通いをして朝鮮ピーを買っていた男たちがよーく知っていただろう。
が、
男たちの欲望の対象としての体ではなく、生理もあれば子も産む命のありかとしての体を女たちが暮らしの中でさりげなく語り合っていたこと、
それだけをもっても、このキクノさんとオモニの会話はかけがえがない。
オモニが最後に「コンマスミダ(ありがとう)」と言っていることがせつない。
キクノさんのほかの、ほとんどの奥さんたちは、朝鮮のオモニ(行商にやってくる女性をさしている)と話さない。
それどころか、いたずら心なのか、からかい半分なのか、人間扱いしていないのか、オモニが籠にいれて持ってきたリンゴや卵を盗んだ。
朝鮮人のオモニときちんと言葉を交わして、オモニから好かれ信用されたた緒方キクノさんの言葉で、印象深いものは、これ。
「でも話をすることと、信用することはまた別ですよ。朝鮮人の心は怪しいですもん。怪しかった。心は許せんかった。あらゆるものを打ち解けてみせたり、聞いたり話したりしたらだめです。心が打ち解けるということは、その話を全部取られてしまって、智恵も全部くれてしまうわけですからね。