幕末に薩摩若太夫系統の説経祭文が多摩や埼玉に広がるにあたって、神楽師(=陰陽師)ネットワークが大きな役割を果した。
それはまずは、
1.薩摩若太夫門下になるということ
・5代目若太夫(板橋・諏訪仙之助)、6代目若太夫(多摩郡二宮・古谷平五郎)が神楽師/陰陽師。
・初代薩摩津賀太夫(入間川・石山美濃守)、その孫娘の婿の小泉因幡守(八王子)も陰陽師
2.神楽師(陰陽師)ネットワークは芸能ネットワークである。
・6代目薩摩若太夫の娘ていが、埼玉の竹間沢の陰陽師前田筑前守に車人形を持って嫁入り。(説経と車人形の竹間沢への伝播)
・神楽師/陰陽師ネットワーク(祓講)を活用した公演活動。(他の神楽師のいる村での、前田筑前や古谷の芝居興行)
背景には近世になって初めて成立した土御門家による諸国陰陽師一元的支配。そこには、宗教者・芸能者を寺社奉行を介して支配統治の対象にしようとした幕府の意志がある。(『近世陰陽道の研究』による)
つまり、上記の神楽師/陰陽師たちは土御門家より免状をもらい、官名を戴いている。
保証される陰陽師の主要な職分のひとつに、「占考」もある。(村の占い者、祈祷者、芸能者としての陰陽師)
(近世の土御門家は陰陽道を神道化したので、神楽師とは結びつきやすいのかもしれない。)
<地方の陰陽師の活動の一例:武蔵多摩郡中藤村 指田藤詮の場合>
1.占い
2.病気直しの祈祷やお祓い。薬の処方。
3.地元の神明社、金比羅社での神楽の主催。
4.神明社の風祭の主催。
5.旦那場における配札。
6.竈注連。竈に飾る御幣、神札を用意して、竈祓い。
7.村から依頼されて、村の修験とともに、疫神送りの共同祈祷。疫神、邪気を祓うために。