「ハンザ自由都市ブレーメン文学賞受賞の際の挨拶」(1958年)から


もろもろの喪失のなかで、ただ「言葉」だけが、手に届くもの、身近なもの、失われていないものとして残りました。
(中略)
しかしその言葉にしても、みずからのあてどなさの中を、おそるべき沈黙の中を、死をもたらす弁舌の千もの闇の中を来なければなりませんでした。言葉はこれらをくぐり抜けて来て、しかも起こったことに対しては一言も発することができないのでした。――しかし言葉はこれらの出来事の中を抜けて来たのです。抜けて来て、ふたたび明るい所に出ることができましたーーすべての出来事に「豊かにされて」。


(中略)

詩は言葉の一形態であり、その本質上対話的なものである以上、いつの日にかはどこかの岸辺に――おおらくは心の岸辺に――流れ着くと言う(かならずしもいつも期待にみちていない)信念の下に投げこまれる投壜通信のようなのかもしれません。詩は、このような意味でも、途上にあるものです――何かをめざすものです。