シャマン・ラポガンは、文学におけるタオのことばと中国語の文字の関係を語る。これはとても大事なこと。


 親愛なる日本の読者のみなさん、私は小説や散文を書きますが、私が文を書く“母体”はタオ語で、文字は漢字です。漢人漢民族)の読者は、最初、私の作品を読むと、みんな私が書く漢字は“可笑しい”と感じるようです。その後、友人が私の作品の漢字や文法を直してくれましたが、あとで読んでみると、私の文学ではなくなっています。植民者と被植民者のあいだの微妙な関係について、ほかのことはともかく、文学作品についてだけ話しましょう。植民者は、順化させる者であり、同化させる者です。被植民者はことばと文字で順化され、価値観で同質化されるコロニー(生物集団)です。
 要するに、私は中国語の漢字によって順化されることを拒否しつづける海洋民族作家ではないということです。私が強調したいのは、私の体内に流れている血は“海の民の遺伝子”であり、多くの“ことば”は、民族固有のことばを中国語に翻訳してはじめて、その表現には感覚があるということです。このような感覚は中国語や日本語、あるいはその他の言語が英語に翻訳されたとき、訳語ではそれを完全に表現することができません。そうして、私は順化された“都市遺伝子”の原住民族ではなく、“海流遺伝子”の原住民族なのです。