気仙沼 リアス·アーク美術館に行った。常設展「東日本大震災の記録と津波の災害史」

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ここは美術館なんですね。
で、学芸員もまた震災の被災当事者でもあります。
震災直後、調査員として美術館の学芸員たちが気仙沼の被害状況の写真を撮る。
そして、その写真にコメントを添える。

なので、展示されている写真のキャプションは、文字どおり学芸員の言葉です。

そしてこの言葉は、単なる記録ではなく、伝える意思を芯のところに宿した伝承のための言葉です。
(伝承館と銘打ちながらも、何を伝承したいのかがよくわからない、誰が伝承の主体で、誰に語りかけているのか、何を伝えたいのかが茫漠としている陸前高田の伝承館とはかなり趣の異なる展示です)。


写真に添えたコメントに加えて、学芸員による「東日本大震災を考えるkeyword」があります。
これは読まずにはいられない力のこもった言葉。

たとえば、「表現」をめぐって。ここには伝えることへの強い意志があります。
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あるいは、「文化……地域文化」というような。
この「地域文化」には、津波もまた含まれています。
長い歴史のなかで、何度も津波に襲われてきた、そしてよみがえってきた、その営みを地域文化として捉える。
それは、この地域に生きてきたこの美術館の学芸員の文化に対する一つの視点であり、主張です。
ここは主張する美術館です。

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そして、津波を地域文化として捉えるならば、その被害を「必然」として捉えるのもまた道理となりましょう。
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keywordは厳しい問いかけでもあります。
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写真に添えられたコメントのなかには、このコメントのように、学芸員自身の想いが強く現れ出たものもあります。
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そして、これは、被災物の携帯に添えられた物語。学芸員による物語です。はがきに印字されています。
ただ、この物語は、どれも語り口が似ていて、フィクション感が漂っています。が、それは嘘ではありません。フィクションを通して語られる被災の記憶です。
これは、記憶と記録と物語と「伝承としての表現」の関係を考えさせる「フィクション」です。
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この展示のほんの一部だけしか、ここでは語れないけれど、
写真や被災物に添えられた文字がとにかく多い。
文字がいっぱいの展示です。主張する展示です。表現する展示です。考えろと迫る展示です。
そういうわけで、この展示でなにより目を奪われたのは、これでもか、これでもかと差し出されるkeywordなのでした。
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