この美術館の展示は、学芸員の確信犯的主張に貫かれている。
だから、胸に響く。深いところまで声が届いて、ハッと気づかされる。
ああ、簡単なことだ、
太古より、人間は、水があって、土があって、森があって、食って生きていけるところにしか棲みつかないものなのだ。
人が集落をつくり、助け合って、長い歳月をようよう生き抜いてきた風土が、単なる生きられない貧しい土地に変わりゆくのは、実のところ、近代の到来ゆえのことなのだ、
近代に疎まれた風土の名もなき神々の死は、共同性の死であり、共同性亡き土地を資本主義経済が跋扈するとき、そこは「復興」という名の「最終処分」の場となる。
近代の仕上げ、もしくは、世界の終り。