「記憶できないほど愚かになったから書くのよね」
と、トニ・モリスンは言ったという。
同時に、また、トニ・モリスンは国でも州でもない、共同体や町についての細かいこと、雰囲気、手ざわりについて語ったという。それは黒人女性がそこで生きて、根を生やしている「場」と呼ぶべきものとして。
トニ・モリスンは1931年生まれ。
そして、『死ぬことを考えた黒い女たちのために』という舞踏詩を書いたヌトザケ・シャンゲは1948年生まれ。
シャンゲの『死ぬことを考えた黒い女たちのために』とは、黒人の男たちの解放、ブラックパワーの運動の中で、新たなる沈黙、さらなる孤独へと押しやられた「黒い女」たちによる、「黒い女」たちのための、新たな始まりのための発声だ。
新たな民族主義の時代がやってきたのだ、と誰もが思っていた時に、じつは女たちは「新たなる沈黙」と「さらなる孤独」の時代を迎えたとミシェル・ウォレスが主張した。それは「わたしのことを語るものはいないのか」「わたしのことを語る言葉はどこにあるのか」と喉をつまらせた女たちが語り始め言葉を生み始めた転回点の到来でもあったのだ。
『死ぬことを考えた』の声が生まれくるところについて、藤本和子はこう言う。
「シャンゲたちは移り動くことをむしろ生活の土台にしている」
トニ・モリスンが知る「場」を、シャンゲたちは既に持たない。
「『死ぬことを考えた』は、モリスンが感じているような直接的な連続の意識を持つことが困難になっていた女たちのための、一つの声だった」
1970年代ニューヨーク。
観客の大多数が黒人女性たちだったという『死ぬことを考えた』の舞台、
「そのような光景はめずらしいことだ」と藤本和子は言う。
その舞台に藤本和子が感じ取ったのは、「場」の再生。
黒人のキリスト教会のような「場」の。
その場についての藤本和子の洞察の何と鋭いことか。
そういうところでは、教会は共同体の成員たちの一週間のくらしの軸のように見受けられた。キリストへの愛が確認されるのではなく、むしろ日常の現実の残酷や重さやさらにこまごました生活の詳細を一気にとび越えて、人びとの内面と宇宙の精髄のようなものを連結しようとする場のようだ。それを共同体として行うこと、共同体として共有することで、個人が一つの力をそこから引き出している―――。その力が、なんであるかは、わたしにははっきりわからないのだが、ただたしかに、ドラマチックな要素は共同体の浄めの式のような機能を持っているのではないか。不浄を浄める、ということではなく、むしろ生命の再生のためのエネルギーを内部に送り込むことで、肺が新しい空気でみたされる、というような儀式。祭式。ドラマ。
もしや、すでに、教会という「場」が、わが「場」ではなくなっていた女たちが、劇場にその「場」を創り出したのではないか。
交感の「場」、集団の文化的な記憶の深みからやってきた「場」、そしてその共有。
「場」を共有する「死ぬことを考えた黒い女たち」の、浄めの言葉。舞踏詩を締めくくる言葉。自己回復の声。再生の力。それを神と彼女たちは呼ぶのだろう。
神は外からもたらされるのではなく、生きる力としてわが身のうちから生まれいずる。
あたしはあたしの中に神を見つけ
そして、あたしはあたしを愛した/あたしはあたしを激しく愛した
そしてこれは一度は死ぬことを考えたこともあるけれど いまは彼女ら自身の虹の果てに向かって歩いている黒い女たちのためのものなのです
最後に、藤本和子からのとても重要な問いかけ。
始原の力を呼び戻すには、どうすればよいのか。
この問いに、藤本和子は、こう答えている。
先に生を受けた者たちの言葉に耳を傾け、語り継ぐ方法もあるだろう。けれどもそのような伝統や習慣や能力からすら遠くなってしまった者たちも現れはじめた。そのような者たちは彼らにふさわしい言語を発見するところから始めなければならない。
もちろん、これは、1980年代初め、沈黙を破り、孤独を超えてつながろうと言葉を生みだしはじめた「黒い女」たちのことを念頭に藤本和子は言っているわけであるが、
これは、いまだにみずからの生も性をかたるみずからの言葉を持ちえていない私たちに突きつけられた問いなのだということ。
次々と「場」を失い、あるいは奪われ、
神を失い、あるいは奪われ、
大きな神を奉る大きな物語にのまれて、
のまれたことも忘れて、
物語の奴隷のように生きるようになり、
奴隷であることも気づかぬまま、消費される物のように生きて死んで消えてゆく私たちは、
いまあらためて、いかに「場」を開いていくのか?
そのように、私は2021年のいま、藤本和子の問いを、自分の問いとして語りなおしてここに置いておこうと思う。