森崎和江『奈落の神々 炭坑労働精神史』 メモ2  内発性をめぐって。

この本はを読むのは15年ぶりで、

その15年間は私自身の旅の作法、人びとの向き合い方、生き方を

大きく変えてきた15年でもあった。

だからだろう。

まるで、初めて読む本のようにして、この本を読む。

かつて文字で追って頭で理解した(と思っていた)こととは異なる、

まるで異なるところが目に飛び込んできて、体の芯を打つ。

 

森崎和江がヤマの禁忌・習俗を語るとき、それはいわゆる研究者の身構えではない。

森崎は分析しない、解釈しない、体系化しない。

そこに自身がけっして十全に理解できない、そのなかで生きることができない世界があること、それはわかっている。

だから、せめてそのそば近くにいたいと願う。

他者に対する慎み、敬意がそこにある。

 

たとえば、炭坑が生き残るのか、坑夫たちは命を繋いでいくことができるのか、そんな切迫したところで繰り広げられている合理化闘争のなかで、若い坑夫たちがヤマの習俗を目の色を変えて語る。犬はヤマの神だと、だから犬とりはひとりもヤマには入らせんと。そのことの意味を森崎和江は考える。

 

私はそこにどれほどの苦闘の歴史がこもっていたのかを、闘争後の閉山や、さらに筑豊全域にわたる全面的閉山の過程で、いやというほど知らされてきた。六四万人といわれた筑豊の炭坑の人々が、全員で全力あげて支えてきた或る世界が、いま、何らの評価もえることなく終わろうとしている。その時になって、切々とした目つきで、実に膨大な空間の存在を告げ、その伝承法が閉山後もなお存続しえることを証明しようとしていた。 

 さらに、森崎はこう言う。

 

 禁忌や習俗などは生活者・労働者の文字ともいえるもので、働いている人々の肉体によることばである。そこで息づいている心情に立脚してようやく正しく読みとれるはずの絵巻物である。それから内発性をぬきさって、様式だけを体系化するのは支配のはじまりだといえる。文字文化は非文字文化を、しばしばそのようにして理解もし、収奪もしてきた。

 私は炭坑町に住んで、やっと、そのことに対する深いいきどおりが流れていることを体得したように思う。炭坑夫たちがそのような収奪から身を守りつつ、自分の手で坑夫を対象化したいと、その方法論を探しているのを感じた。炭坑労働をしたことのない私はもとよりその場を一にする立場にない。が、せめてそのそば近くにいたい。 

 

暮しをともにして、せめてそのそば近くにいて、ようやくそこに深くて大きなもう一つの人間たちの世界を感じ取ることができる、なにかが、大切ななにかがそこにあることだけはわかる。そのことの空恐ろしさを思う。

 

せめてそのそばをおろおろと、うろうろとするほかない自分を思って、空を仰ぐのである。

おろおろする自分、うろうろする自分、空を仰ぐ自分を、忘れない自分でいなければならぬと思うのである。

 

そんなことを久しぶりに読み返した森崎さんの言葉に打たれて考えた。