牛頭天王に宿を貸すことを断ったために滅ぼされる蘇民古端は釈迦の弟子で、
古端の家を襲った牛頭天王と釈迦の間で問答が繰り広げられる。
そして――――
その時釈迦仏聞こし召し、
「いかなる魔王・鬼神にてましますぞ。
仏の御弟子まで悩ます事不審なり」と宣ひて、
御身に慈悲忍辱の衣を着し、
慈悲自在の袈裟を掛け、実相真如の沓を履き、
百八品の数珠を持ち、ゆう三界の撞杖を突き、
長者が館に渡り給ひて、
牛頭天王に直談、目と目を見合はせ、
「いかなる神にてましますぞ」と問ひ給ふ。
天王聞こし召し、「御身いかなる者ぞ」と問ひ給へば、
「我はこれ、天竺に隠れなき釈迦仏といふ者」と答へ給ふ。
天王聞こし召し、「御身が父をば浄飯天王、
母をば摩耶夫人と申す。人間の体に宿りたる者なり。
我はこれ須彌の半腹、豊饒国といふ処に、
父をとうむ天王、母を婆梨采女と申し、仏の子なり。
三世の諸仏の父母なり。九海の群類には家なり。
我が前で仏と思はば、御身一人害して、千人の檀那の命に替へ給へ」と宣ふ。
釈迦仏は聞こし召し、「その義にてましまさば、
我一人害して千人の檀那を救はん」とて、
正平元年甲寅の年二月朔日に、左の指にとりつき給ふ。若し一日、若し二日、若し三日、
若し四日、若し七日程悩ませ給へば、
祟り病と見え給ふが、十日に十の指を悩ませ給ふ。
五臓六腑を責め給へば、
いかなる仏の御身とてたまり給ふ
べからず。
二月十五日、鶏の初声、暁に御入滅なり給ふ。
(中略)
牛頭天王は御覧あって、「仏の命をとるまでなり」と宣ひ、
いざや日本の地に帰らんとて、
八万四千の眷属達を引き連れ帰り給ふ
釈迦にまで憑りついて殺す牛頭天王、釈迦に対する牛頭天王の圧倒的優位、それに似たものを盲僧琵琶の地神経に山本ひろ子先生は見いだす。
筑前の玄清流盲僧琵琶の「仏説地神大陀羅尼経」では、亡くなった釈迦を荼毘に付す際に、五龍王、堅牢地神、正了知、蛇毒神王らが信伏しないために、炎が起きなかったと語る。そのため釈迦が棺から起き上がってこれら異神の本縁譚を語ることで、炎がようやく起きるという。
こうみてくると、自らが護持する神々=牛頭天王・堅牢地神の宗教世界での特立と恐るべき本性を語りあげることによって、釈尊伝の根幹を喰い破ったということができよう。
そこには確実に、ただただ権力に従うことをよしとしない、まつろわぬ者たちの意志が見える。
盲僧、修験者、祭文語り、旅する異人たちによる祭祀/芸能の原風景に潜むまつろわぬ魂。そして、哄笑。