簾内敬司を読む。

森崎和江つながりで、あらためて簾内敬司をじっくりと読んで、茫然としている。 この人の、深々と東北の風土に根差した、この恐るべき声を、どうして今まで聞き取ることができなかったのだろうかと、自分の小さな耳にがっくりとする。

 

小説『千年の夜』に寄せた藤田省三の言葉にも、厳しく打たれる。

 

「人は、どうしても書かねばならないことだけを、書かなければなりません」とカフカは若い友人に向って言ったことがあるそうです。(ヤノーホ『カフカとの対話』)

 まことに残念ながら今日の日本人の中では、学者にしろ作家にしろジャーナリストにしろ、殆ど全ての物書きが「どうしても書かねばならぬこと」を持っていない。そしてそのくせに「多産」である。血色よく死んでいる社会の分かはそういう物なのかもしれない。

 三章から成る此の小説は、「どうしても書かねばならぬこと」を確かに持っている人が「そのことだけを書いた」本である。特に第一章と第三章は寸分の余地なくそのことを証し立てている、と思う。沙漠の中の一粒の砂金。

 

この一冊を読むだけでも、森崎さんが簾内さんとの対話を熱望したわけもよくわかるような気がする。

 

日本社会を呪縛するムラ共同体の彼方へと西南の地から彷徨いの旅に出た森崎さんが出会った、東北の彷徨い人。

彷徨いの絆。唯一信ずるに値する「絆」。