ジェイムズ・クリフォード『リターンズ 二十一世紀に先住民になること』 メモ

締切前だというのに、うっかりこの本の第二部「イシの物語」を読みはじめて、やめられなくなってしまった。

 

「最後のヤヒ イシ」をめぐる物語だ。

そもそも、イシとは、1911年8月29日に北カリフォルニアの小さな町オロヴィㇽで保護された先住民「ヤヒ」の最後の一人。イシは本名ではない。本当の名はわからない。

イシはカリフォルニア大学人類学博物館に守衛として雇われ、住み込みで働くようになり、ヤヒの技術の実演もしてみせた。彼は1916年に結核で亡くなり、遺体は解剖され、その脳はスミソニアン博物館に送られた。

イシと、カリフォルニア大学の人類学者アルフレッド・クローバーとその仲間たちとは友情で結ばれていた、という。

 

さて、20世紀初頭、消滅する運命とされていた先住民は、21世紀の今、新たな生存戦略を繰り広げ、(アイデンティティの再生、伝統文化の観光化、先住民カジノまである……)、そして、21世紀の先住民は、「イシの物語」を、先住民の再生の物語として語りなおしてゆく。

かつては先住民の死の象徴だったイシの四散した遺骨を取り戻すこと、イシの帰還は、21世紀の先住民の活力、再生の象徴となる。

 

「イシの物語」は、最後の先住民の物語ではなく、最初の先住民の物語へと読み替えられる。

 

ところで、そもそも、イシを「ヤヒ」という部族の名で呼んだのは白人だ。

カリフォルニアの「部族」は二十世紀の初期に形作られた。それまで先住民カリフォルニアは、強力な地方性を帯びるとともに、地球上でもっとも言語に富んだ地域であった。(その言語地図が人類学者らによって作られた)あらゆる地図がそうであるように、この地図もまた特定の現実を投影していた。くっきりした境界線によって、社会文化的な単位に正確に合致しない言語や方言は消去されていた。現地の諸社会は実際には多孔質であり、交易、親族関係、多言語使用、間部族的集会などによって横断されていた。しかも、言語によって定義された領域の内部には、ときに多くの方言があり、互いに非常に理解が困難なものも存在していた。イシの時代には、人々はコミュニティを区別するのに、「われわれはヤナだ」とか「われわれはカロックだ」などと言うよりも、現地の地名や族長の名前を用いていた。言語と文化をイコールでつなぐ一般的な習慣は、より複雑な様々な帰属関係を単純化しすぎている。(中略) しかし、地図が完成してからは、こうしたどちらかというと流動的な集団区分は固定化され、政府から課された「部族」認知の政治のなかで機能させようとする、強い圧力のなかで制度化されてきた。

 

⇑の話は、21世紀のいま、イシの遺骨が帰還するべき先住民がどの部族なのか、という問いにおいて、浮上してきた問題。

 

さて、クリフォードが差し出す数多くの論点をほとんど端折って、ル=グインを介してクリフォードの語る先住民の眼差す「ユートピア」のこと。

 

植民地化の後に「先住民」になること。変容した場所で伝統的な未来を作りなしてゆくこと――このようなプロセスはル=グインの非単線的なユートピアの実例となっている。

 

ル=グインの鋭い読み手であるフレドリック・ジェイムソンは、資本主義的な物象化の世界におけるユートピアの必要性を繰り返し語っている。オルターナティヴな展望は、与えられた現実を超えて、不可避で自然なもののように見える「現実」の外で考え、感じるための道具である。ユートピアは様々に異なった形をとる――それは万人にとっての遠い未来や次に必要なステップに言及する必要はない。最近のイシの物語の再開は、現在存在し、現れつつある「先住民主義」の諸空間に依存している――ユートピア的な、あるいはおそらくヘテロトピア(別の場所)的な諸現実である。消えゆく定めにあると想定されていた人々や歴史は、日に日に生きたものとなっている――前に、横に、そして後ろへと動き、進歩の単線的な観念を侵犯している。先住民の――古いと同時に新しい――出現しつつある諸空間は、縺れ合い、折衷的で、思いがけない複数の歴史によって構成されている。

 

そして、クロノトープという概念。

 

彼の物語は単に一人の男の物語であったことはない。イシが知られるようになった時点から、彼は神話だった。(中略)

ここではミハイル・バフチンの提唱する「クロノトープ(時空関係)という概念が示唆的かもしれない。ひとつの語りが一貫性の感覚をもって展開されるためには、それがどこかで「生起する/場所を持つ」必要がある。この空間的枠組みは、時間の流れを封じ込め、調整するひとつの方法である。イシの物語がそのなかで最初に語られた時間/空間、すなわちその歴史的「現実性」は、目的性を備えたひとつの場所である、博物館というクロノトープだった。この設定は、彼が公的生活を送ったサンフランシスコの人類学博物館事態にとどまらず、価値があるとされた記憶やモノが集められ、決して逆戻りすることのなくひたすら前進する単線的進歩から救出される場所としての「博物館」であった。保存する価値のある事物の終の棲家としての博物館は、最後の行先である――したがって、それは不動性と死に結びつく。

 

(中略)

 

今日では、このクロノトープはもはやイシの物語を閉じ込めてはいない。じっさい、博物館はいたるところで、文化財返還要求、帰還事業、マーケティング、商業化などの圧力のもとで、流動的で不安定、かつ創造的な「接触地帯」になっている。

(中略)

イシの物語はいま、救出された過去についての物語であるのと同じくらい、先住民の複数の未来についての物語である。そもそも、「進歩的」変遷を調整していた過去と未来のとの対立全体が、部族再生の文脈のなかで揺れ動いている。時間は循環的な、系譜的な、螺旋状のものとして経験されている――終わりなき帰還というクロノトープである。

 

 

この部分を読む私は、たとえば、石牟礼道子苦海浄土』をいかに複数の未来についての物語として読むか、というふうに考える。

たとえば、気仙沼リアスアーク美術館に展示されている「被災物」の記憶、震災の物語を、いかに複数の未来についての物語へと編み直すか、ということも考えている。

 

「二十一世紀のカリフォルニアで、新たな仕方で先住民になることは、インディアンの差し迫ったプロジェクトである。維持するべきもの、要求されるべきもの、再生されるべきものはたくさんある」とクリフォードは書く。

 

この言葉は、先住民が「先住民」」になること以上に、

この地球上に生きる私たちみなが「先住民」になるというプロジェクトを語っているものなのだと受け取りたい。

いかにして、単線系の進歩の時間を超えて生きるのか、と。

 

そして、クリフォードがよく引用する、アラスカの先住民アルーティクの長老が語ったという ⇓ の言葉は、

津波もまた暮らしの中に織り込んで生き抜いてきた三陸の風土を思い起こさせもする。

自然災害の津波だけでなく、人為的災害(もしくは近代の災禍)である「復興」に襲われている三陸も。

 

我々の民は、何千年ものあいだ、幾多の嵐や災害を生き抜いてきました。ロシア人以降のあらゆる苦難は、一続きの悪天候のようなものです。他のあらゆるものと同じで、この嵐もまたいつの日か過ぎ去ってゆくでしょう。

              ――バーバラ・シャンギン、アルティークの長老、

                       チグニク・レイク、一九八七

 

クリフォードはこの言葉について、以下のように語って『リターンズ』を締めくくっている。

 

彼女の言葉は先住民の未来について答えようのない問い(こんな悪天候の後になにがやってくるのか?)を繰り返している。ひとつの問いを、そしてまたひとつの希望、何があろうとも姿を現す、ひとつの希望を。