今日は、ピヨピヨ団とともに、大阪は八尾の恩智、茶吉庵を訪ねた。
HPには、
「ほんまもん」のアートが集まる 築250年の古民家、とある。
https://chakichian.co.jp/
19代目当主の萩原さんから恩智という土地の歴史(話は物部氏の頃からの反骨の物語としてはじまる)、
恩智における萩原家の歴史(池田三成の家臣。関ケ原後、恩知に逃げのびて、以来400年余。しかし、この土地では、400年くらいではまだ新参者なのだという……)、
そして、萩原さん自身の反骨精神に満ちた現在進行形の挑戦の物語を伺った。
茶吉庵は、とても気持ちのいい場所。
ここで何かを企もうとピヨピヨ団一同。
茶吉庵訪問前に、周辺地探訪。恩智神社を覗いた。
まず、もともと恩智神社のあった場所(天王の森)に、いまは小さな祇園さん(牛頭天王社)がある。
そこから坂をずっと上っていくと、現在の恩智神社。建武年間に現在地に移ったという。
ここはもともとは、天児屋根命(通称 春日大明神)が常陸の国香取神宮から勧請され、それが枚岡神社→春日大社へと勧請されていったいったのだという。(by宮司)
現在、天児屋根命は境内の摂社に祭られている。(境内には、いろんな神社の分社もたくさん)。
それで、つまり、ここは、元春日社.。春日大社のおおもとの神社、というわけです。
そのことが興味深いのは、
説経祭文「信徳丸」では、継母が信徳丸に呪いをかけるために、高安から春日大明神へと深夜に祈願に行くのだけど、
高安から奈良の春日大社まで、女の足で行ったのか? と常々疑問に思っていたのだが、なるほど、ここなんだ、恩智の春日さんなんだ! と合点がいった。
しかも、説経祭文では信徳丸は天王原に捨てられる。(説経では四天王寺)。
恩智を歩けば、わかる。春日さんのすぐ下に天王森があるじゃないか!
さらに、聞けば、ここは河内木綿の産地で、小作人ですら蔵のある屋敷を構えていたという土地柄。芸能を支える冨や旦那衆いたんですね、きっと。
茶吉庵を訪ねるために、たまたまやってきた恩智で、思いがけなく長年の信徳丸をめぐる謎が解けたこの爽快感よ!!!
そういえば、茶吉庵19代目の話では、木綿の先物取引でみんなお金を持っていたから、八尾では賭博がさかんで、その胴元がお寺だったという……。
さて、恩智神社は別名卯辰の社。
うさぎと龍が神のお使いなんだそうです。
なので、狛犬代わりに、うさぎと龍。
卯は「東」を意味する。太陽ののぼる方角。
龍は水の神。水分(みくまり)の神。
このあたりは渡来人が上陸して、最初に集落を作っていったところで、
上陸地に住吉大社、住吉から見て朝日の昇る方角に恩智。
春分の日に住吉の浜から真東を眺めやれば、まさに恩智から日が昇る。
それを遥拝したのだという。太陽信仰。
だから、卯=東、なのでしょうね。