詩 「新しい世界にようこそ」

新しい世界にようこそ

 

人知れず無数の獣が大地を蹴って躍るとき、ひそかに世界が変わるということを、あなたは知ってる?

 

この世の涯の密林の奥で、ほかの誰に知られることなく、この世が災厄にのまれぬよう、かがり火焚いて夜を徹して輪になって踊る歌の祭りが繰り広げられているのを、あなたは知ってる?

 

この国では、ちょうど百年前の大地震のあとに、本当に沢山の朝鮮人が殺されたのだけど、でも、本当に殺されたのは誰だったのか、何だったのか、あなたは知ってる?

 

近代日本の「私」という言葉の中には、他者も死者もいないと言ったのは、詩人の森崎和江でした。

詩人は、植民地だった朝鮮で生まれて、朝鮮のオンマたちに慈しまれて育てられ、朝鮮のオンニたちに見守られ、惜しみなく愛情を注がれました。

なのに、詩人が口にする日本語の「私」の中には、オンマたちも、オンニたちもいないと、詩人は泣きました。

植民地ではなくなった朝鮮から引き揚げて、日本で生きるようになって、やがて子を宿した詩人は、涙を流して、こう言ったんです。

日本語の「私」という言葉を、新たな命を孕んでいる私は使えません。それは他者を身の内に宿していない者の言葉だから。

 

どんな命も、他者として、この世にやってくるのに。

 

私たちの使う「私」というのは、その身から他者をこそぎ落とした「骨」のこと、

他者を知らない「私」は、みんなみんな骨人間なんですって。

屠畜場で肉と骨がバラバラに断ち切られるようにして、骨になった人間は、

生きている命なのかしら。

骨だけで、命をつないでいくことなんて、できるのかしら。

ねえ、もしかして、あなたも骨人間?

 

生きてるの? 死んでるの? 殺したの? 殺されたの? チリヂリでバラバラなの? 独りぼっちなの? 

 

いつまで骨なの?

 

骨のわたしたち、

もう百年も骨の時間に閉じ込められて、

骨の言葉ではけっして語れない新しい世界を夢みるんです、

これからはじまる新しい百年の祀りをするんです、

でも、まだ言葉にはならないから、

白い骨だけの体に、赤い血の流れる肉をまとって、獣になって躍るんです、

わおおお、わおおお、

躍る獣の体から、新しい歌が弾けてほとばしるでしょう、

世界は震えて、見たこともない草木も萌えて、虫も魚も湧きだして、

森羅万象、すべてが歌う密林になるでしょう、

はじまるよ、いよいよはじまるんだよ、

おめでとう、みんなおめでとう、

骨だったわたしたちは、狂ったように躍るでしょう。

 

おめでとう、狂った骨におめでとう、生まれ変わっておめでとう!

新しい世界におめでとう!

わおおお、わおおお、わおおお、わおおおおおおおおおおおおお