2023年7月21日~24日  未来の戦跡地めぐり 青森・下北半島編  その2 大間

7月22日 午前9時 

新郷村から大間に車で向かう平葭さんが、

下北を通るときに私をピックアップしてくれることに。

「せっかくだから、ヒバの林の道のほうを通って行きましょうね。

 恐山もかすめて行きましょうかね」

 

ということで、恐山をかすめて、薬研温泉のほうへと車は向かい、河童に出会った次第。

津軽のお岩木山の修験同様、下北半島では恐山の影響はどれほど大きかったことか、そんなこともうかがわせる河童伝説。

薬研温泉の河童

貞観4年(862年)、今から一千百余年の昔、円仁慈覚大師(えんにんじかくだいし)が恐山を開山した後、薬研渓流を訪ねることになりました。大使が釜の沢を越え、大畑川をさかのぼって薬研に行く途中で夕暮れになってしまいました。大師は道に迷い、崖から足を踏みはずし、大怪我をしてしまいました。

大師は渾身の力をふりしぼって断崖からはい上がり、川原で体を休め困っていたところ、どこからともなく大きなフキの葉っぱをかぶった一匹の河童が現れました。河童は怪我で苦しんでいる大師を背負っていずこともなく運び去ってしまいました。

翌朝、大師が目を覚ましたところ、体ごと大きなフキの葉っぱに包まれ、露天風呂の中に入れられていました。

そして、不思議なことに、昨日の痛みはすっかり消え失せ、渓谷を渡る夜明けの風もさわやかに、もとの元気な姿に返っていました。

大師はこの奇怪な行為をことのほか喜び、河童の義心に感激して、その温泉を「かっぱの湯」と名づけたといいます。

それ以来、満々とたたえられたこの露天風呂の湯に満月が映ると、大きなフキの葉っぱをかぶった年老いた河童が、あし笛をならしながら踊る姿が見られたといいます。

出典「古畑一雄著 古畑家由来記」より

 

そうか、河童は、大きなフキの葉っぱをかぶって、葦笛を鳴らしながら、踊るんだ。

河童と一緒に躍りたいわなぁ。

 

車は佐井のほうから大間へと入ってゆく。

佐井の手前で、右手の山から小さな生き物がたったったっと駆け下りてきた。顔が赤い。日本猿だ。まだ小さい。そのあとを大きな猿がたったったっと現れる。小さいのがもう一匹、そのあとからついてくる。猿一家。目が合う。

「ようこそ、大間へ」

という声を勝手に聞く。北からの使者。

 

猿。こんな感じで現れた。ただし、これは他のサイトから持ってきた画像。

 

佐井を過ぎて、大間に入る。もう11時を過ぎている。ここはマグロの町。そして、建設中の原発の町。 

 

大間原発は、使用済み核燃料の再処理で取り出したプルトニウムとウランの混合酸化物MOX)燃料を100%使う「フルMOX」の改良型沸騰水型炉(ABWR)だ。MOX燃料は六ケ所村日本原燃などで作られる。

朝日新聞デジタル記事 「揺れる 大間原発の行方」安田琢典2021年9月26日 10時30分)より

 

しかし、下北半島に入ってから、やたらと風力発電の巨大風車が目につく。

 

 

 

大MAGROCK会場の最寄りバス停。バスはなかなか来ないけどね。

 

バス停辺りから、大MAGROCKの会場が設営されている丘(向かって左側。白いテントがあるところ)を見上げる。その背後に広がるのが、建設中の原発の敷地。

 

 

会場めざして歩道を行けば、あしもとにワイルドベリー。

 

この道を入ってゆく。

 

 

会場に向かう道の前方、目隠しのあるあの向こう側に、建設中の原発

 

原発反対のプラカードおあれば、監視カメラもある。
塀の向こう側は、原発の敷地。

 

ここが大MAGROCKの会場。

 

 

 

 

 

12時過ぎたら、大MAGROCKの企画・主催のひとりであるYAMさんたちが奏でるノイズとともに、BUTOの福士正一さんが踊り出した。

 

2023大MAGROCK 福士さん - YouTube

 

歌う弁護士 中野宏典登場。めざすはボブ・ディランなんだそうだ。

翌7月22日には、陸前高田に歌いに行くという。

 

新郷村の平葭さんと、大MAGROCK企画者のYAMさん

平葭さんは、姜信子の著作から、不穏な声を呼び出して朗読。

大MAGROCKが歌い躍るフェスであること、

足を踏み鳴らし地霊を目覚めさせようとする歌であり響きであること、

それをこの場に集った者たちと共有する不穏な試みであること、

(もちろん、それはこの世を一つの歌、一つの動き、一つの流れにまとめたい者たちにとっての不穏である)。
ということを、平葭さんは、朗読をとおして、語りかけた。
ありがとう、平葭さん。

背後には「百年芸能祭」の旗。
大MAGROCKは、「百年芸能祭」参加イベントなのである。

2023大MAGROCK 『現代説経集』より - YouTube

 

 

津軽の歌と踊り。

 

 

 

 

 

youtu.be

 

youtu.be

 

二日間の音楽フェスは、反原発集会と共にあり、参加者のほとんどすべてが反原発集会に参加するために大間の外から来た人々であり、(大間からの参加はただ一人だった)彼らにとっては音楽フェスはおまけにすぎないようでもある。

原発か否かを問わず、それを越えたところで、地霊を呼び出すように歌い躍るというような「場」を分かちあうことの困難。

 

二日目の音楽フェスの午前の部が終わったところで、大間の町へと反原発デモが出発した。このデモを大間の町の人々は息を潜めて見ているか、見ないのだという。

 

分断。

これをいかに乗り越えて、つながりなおしてゆくのか。

分断を生み出すシステムをいかに突破するのか。

結局、いつも、この問いにたどりつき、

この問いからはじまる。

 

 

植民地朝鮮でも、水俣でも、福島でも、沖縄でも、支配は分断の上にこそ成り立ってきた。命のつながりを断ち、ばらばらになった命を支配のシステム維持の道具に、動力源にして使い捨てにし、役に立たない命ははなから放り捨てる。

 

生きのびたいだろう? いい暮らしがしたいだろう? お金が必要だろう? だったら、こっち側においで、こっちの水は美味しいから。(こっちの水を飲んでしまったおまえは、もう、このからくりをささえる共犯者だよ)  (みんなが共犯になれば怖くないよ) (共犯になるということは、資本と権力のカラクリに魂を差し出すことだよ、そのことに気づいたときは、もう遅い、あともどりはできない、逃げ場はないよ)

 

そんなひそかな声が、本州の北の最果ての町にも鳴りひびいているかのよう。

 

 

大間の町でただひとり、原発用地買収に応じなかった熊谷あさこさんが作ったログハウス「あさこハウス」を訪ねる。

今は、あさこさんは亡く、娘さんのあつこさんとボランティアの方々がこの場所を守りつづけている。

 

青森県大間原子力発電所の建設の話が持ち上がってから35年。土地買収が進む中、最後まで土地を売らず、原発建設を阻止してきた熊谷あさ子さんがその土地にログハウスを建て、住民票を移したそうです。その後、不慮の事故で突然亡くなり、 娘の小笠原厚子さんが、「あさこはうす」命名し、自転車で畑仕事に通い。太陽光発電パネルや風力発電設備を設置し、ライフラインがなくても将来移り住めるように整備を進めているそうです。
大間原発を計画している電源開発は、あさこさんが土地を売らなかったために、原子炉施設の建設予定地を変更せざるをえなくなり、工事の計画が大幅にずれ込みました。

(2012年の記事)

 

なるほど。はなからすべての土地を買収するつもりで、建設計画も立てて、(傲慢ですね)、それがたったひとりの抵抗で、建設計画も建設の進行も大きく狂うのですね。

 

 

 

ボランティアが作った井戸。

 

 

 

 

忘れてはならないのは、ここ大間が本州の最果てとなり、過疎に苦しむようになったのは、明治維新以降、資本主義のシステムにのみこまれていった結果でもあるということ。

 

そんなことを思って、菅江真澄遊覧記3「牧の冬枯」を読む。

菅江真澄の旅の地図