満月の夜の狼のように ~水俣異聞~ @西荻窪・忘日舎

f:id:omma:20191028004639p:plain



今夜も雨が降っています、

もう百年も降りつづいています

この闇のなか 私は溢れる水に舟を浮かべますこれは私のいのちの舟です 一面の黒い水です 

私はひそかな声をあげる それが出発の合図  

 

「さあみんな、舟を出して、早く自分の舟を出して」

 

いまここが雨ならば、あなたのいるそこも雨のはず

すべての水はつながっているものだから

この世のどこかで降りやまぬ雨が降っているならば

世界じゅうが見えない雨のなかに沈んでいるはず

いまきっとあなたも 雨の底に沈んで 芯まで濡れて 流されていくところでしょう?

でも みんながいっしょに流されているから 

だいじょうぶ 世界は平和 だいじょうぶ みんな同じくらい幸せ

そうしてすっかり安心して 生きながらだんだん死んでいくところなのでしょう? 

そうしてとうとうとりかえしのつかない命になってしまうまえに

ひそかな声をあげるんです それが合図

 

「ねえみんな 舟を出して 早くあなたの舟を早く出して」

 

                                ◆

 

船出するわたしたちには百年前からの言い伝え。

 

「舟を漕ぐときには 水の音をよく聞け」 

 

それは 百年前 雨が降り出したときに 最初に舟を出した者たちの言葉なのです

黒い穴から果てしなく湧き出る黒い水が渦巻いて 渡るに渡れぬワタラセ川から舟を出した舟びとたちが ひそかな声で告げるのです

 

 水はぐるりぐるりとこの世をめぐって命をつなぐものなのだ

 道は水のようにくねくねと曲がりくねっているものなのだ

 まっすぐなものには魂は宿らない

 魂のない水は命の流れを断ち切る刃

 けっして まっすぐな音についていってはならない

 

         ◆

 

f:id:omma:20191028003824p:plain

 

舟には一輪の花 それが目印です

舟の行方は花が知っています

寄せくる波に揺られて舟が集まる入り江の海を 一輪の花たちはシラヌイの海と呼びます

シラヌイの海では 常世の舟の孤独な舟びとが 真っ白な帆をあげて 言伝をたずさえて花たちを待っています

 

シラヌイの言伝

 

 おまえこそがこの世をめぐる水なのだ

 地のもっとも低きところを這う虫のように 黙々と流れる水なのだ

 すべての死せるもの、すべての生きとし生けるものをつないで流れる水なのだ

 おまえこそが 鳥も獣も虫も魚も草も木も これまでのすべての命、これからの

 すべての命を滔々と結んで流れる水なのだ

 山から海へ 海から空へ 空から山へ 果てなくこの世をめぐる水なのだ

 生きてゆくおまえは おまえの内なる水の声を聴け

 

水は山に行けとあなたに囁きかけることでしょう 

舟は山をのぼってゆくことでしょう

山の奥深く この世のはじまりの泉の湧くところへと 

舟たちが漕ぎあがってゆく

ろう ろう ろう 

艪を漕ぐ声は 故郷をめざすケモノたちの遠吠えの声のように 山に谺することでしょう

 

        ◆

 

f:id:omma:20191028004732p:plain

 

山にひそかな舟たちが集う夜

あるいは ついに山に還ってきた無数の水たちが語り明かす夜

そんなとき きっとかならず ひとりの水が 胸をこぶしで力強く叩きながら 

歌うように くりかえし こんな言葉を唱えるのです

 

「鍛えているから痛くない」

 

何が? どんなふうに?

 

川をまっすぐにするからと 尖ったところはみでたところをざくざく削り取られても

鍛えているから痛くない  

(そうだね そんなこともあったよね)

 

山に生きる命もろとも吹き飛ばされても 海に生きる命もろとも生き埋めにされても

鍛えているから痛くない  

(そうだね 何度もそんな目にもあってきた)

 

真っ黒な毒を放り込まれても 透明な毒を溶かし込まれても 濁っても 澱んでも 

鍛えているから痛くない   

(そうだね それでもわたしたちは耐えてきた)

 

役立たずと蹴られても 足手まといと踏まれても この世の外に投げ捨てられても

鍛えているから痛くない  

(うん そうだ それでもわたしたちは生きてきた)

 

何をされても大丈夫 

鍛えているから痛くない 

体も心も痛まない

口を塞がれても 記憶を盗まれても 名前を消されても 命を取られても 

鍛えているから痛くない

百年雨が降りつづいても 世界が真っ黒な水の底に沈んでも

鍛えているから痛くない 

(そうしてわたしたちは生きてきた)

鍛えているから痛くない

(そうしてわたしたちは殺されてきた)

 

鍛えているから痛くない

 

 

これは 呪文 

百年の呪いなんです

黒い雨の百年を みんなで最高に幸せに生きるための 最強のおまじないなんです

水たちがざわざわと波立ちます 

わたしたちは試されているのだと

わたしたちはこの呪いをふりほどくために 孤独な舟となって 一輪の花となって 

ざわめく無数の命となって はじまりの泉の湧くこの山に還ってきたのだと

  

しかし どうやって ふりほどく?

  

 

最初にひとりの水が声をあげるのです

歌おう!

 

 しゅうりりえんえん しゅうりりえんえん よか水じゃ

 

ああ これは 久しく歌われることのなかった シラヌイのしゅり神山の狐の歌

 

二人目の水が声をあげます

踊ろう!

 

 しゅうりりえんえん  しゅうりりえんえん  よか水じゃ

 

ほら なつかしい死者たちがやってくる あたらしい命たちが生まれくる 

つながって 輪になって 滔々と流れる水になる

 

三人目の水が声をあげます

祈ろう!

 

 しゅうりりえんえん しゅうりりえんえん よか水じゃ

 

水たちは一輪の花となって 天を仰ぐのです

花を黒く染める 百年の雨の時代はもう終わる  

われらはこれからはじまる世界をめぐる祈りの水になる

 

 ◆

  

山にひそかな水たちが集う夜

山の深みの泉のまわりを 水たちが ろう ろう ろう

水たちのひそかな祭りは だんだんケモノのにおいを孕んでできます

 

野に生きるケモノどもは むやみにまっすぐに走ったり鍛えたり服従したりしないから 

口を塞がれれば こもった声でワウワウ吠えて 

記憶を盗まれれば こっそり取り返しにゆき

名前を消されれば もっと深くくっきりと名前を刻んで

命を取られそうになれば そのときには逃げる 全力で逃げる 

 

 しゅうりりえんえん しゅうりりえんえん よか水じゃ

 

水たちは 月に吠えるケモノになるのです 

青い月の光に染まって これからはじまる世界のためにぐるぐる歌い踊るのです

 

 しゅうりりえんえん しゅうりりえんえん よか水じゃ

 

 

f:id:omma:20191028003428p:plain


時が満ちたなら ぐるぐるめぐる水たちは ふたたび舟を出すのです 

一艘 また一艘と それぞれのまがりくねった川をくだってゆくのです

 

さあ みんな 大きな流れにのまれるな

まっすぐな川に 捕まりそうになったなら

逃げろ逃げろ  満月の夜の狼のように 青い水の荒野をかけてゆけ

 

 しゅうりりえんえん しゅうりりえんえん よか水じゃ

 

満月の夜の狼のように

f:id:omma:20191028003646p:plain