小説「初陣」について  『「日本語」の文学が生まれた場所』黒川創

1935年、プロレタリア文学系の文芸誌「文学評論」に、李兆鳴という朝鮮人の日本語による「初陣」という小説が発表される。

それは、朝鮮窒素を舞台に、そこで働く朝鮮人労働者の厳しい労働の状況と弾圧とその中での連帯の光景を描いたもので、

そのもとになった朝鮮語による「窒素肥料工場」は、1932年に植民地の朝鮮日報で連載が始まったものの、検閲によって削除され、連載は途中で中止になった作品だという。

 

日本語小説「初陣」の李兆鳴は、実は、朝鮮プロレタリア芸術同盟(KAPF)所属の左翼系作家 李北鳴。

彼は実際に朝鮮窒素で働いた経験があるという。

 

そこで、黒川創の問い。

作者は、この作品を自分で日本語に訳したのだろうか?

 

そこ(朝鮮窒素の企業城下町となった興南)で営まれる日本語の大共同体は、一人の朝鮮人プロレタリア作家の言語能力まで、飛躍的に高めるに至っていたのだろうか?

 

李北鳴が、もしかしたら日本語で小説を書いた頃というのは、

漱石が書きながら自然な日常の言葉による「語り口」を作ってゆき、

漱石の影響を受けた李光洙のような朝鮮人の作家が、やはり新たにハングルによる自然な語り口を書きながら探していく、そんな試みの積み重ねを経た時期でもある。

植民宗主国の言葉である近代日本語の生成変容と共に、植民地の近代朝鮮語の生成変容もあるということ。

この生成変容により、「語りうるもの、語られうるものごとが、世界に膨らみを加えていく」と黒川創は言う。

「植民地支配下での日本語教育の推進も、こうした言語の躍動を、必ずしも阻害するものではなかった。強いられた言語でさえ、話者は、なおそれを使いこなして生きていく」と語る。

 

生き物としての言語、支配者の思惑をはみでる言語という領域にまで眼差しは伸びてゆく。

 

そこには、はみでてゆくものとしての「文学」という、文学に寄せる思いもあるのかもしれない。

 

ひきつづき、読んでいく。

 

近代文学の話法が生成されていくと同時に、おのずと消されていったであろう「語り」「声」のことが気になる。)